◇比叡山まであるく、



(酒井雄哉大阿闍梨)



酒井阿闍梨での生活は、叔母に誘われて比叡山に登って度々一人で訪ねたりする日もあったが、叔母の家の旋盤加工の工場で勤める他はなく、本人曰く「ボケーとした毎日」であった。


それが、無動寺谷で千日回峰行の「出堂」を見て何かを感じ始めた。そんな時に、無動寺谷・弁天堂の輪番であった『小林隆彰師』とめぐり合うのである。小林師は、酒井阿闍梨の叔母が熱心に弁天信仰をし参詣することから、大阪に所用で出かけた際にも叔母の所にも立ち寄るなど親しい。


ある日、小林師が立ち寄った際に、酒井阿闍梨は一言、


「先生、比叡山に入りたいんですけど‥‥‥‥」


小林師は、そういう類の男にはこれまで何回となく会っている。人生につまずいて、衝動的にそう思うが、冷却期間を置くと自然に撤回していく。数多くそんな例を見てきた小林師の返事は酒井阿闍梨には冷たく響いた。


「出家するといったって、そんなに簡単にはいかん。中年過ぎてからの出家願望は、いざとなったら逃げるのが多い。本当に出家したいのかどうか、もう少し時間をかけて、自分の心をみつめてからでも遅くない」



(小林隆彰師)



そのあとも酒井阿闍梨は相変わらず小林師のもとに通って来た。この当時、無動寺の長老は、若き日に、『箱崎文應大阿闍梨』が比叡山に来た際に案内した『中山玄雄師』。ここにも『因縁』『糸』が繋がっている。


酒井阿闍梨はひとり比叡山で自問自答することが多くなった。


本当に自分は俗塵を捨てることができるのか。そして自分の答えを出した。


これまでの恥多い人生の敗残者として逃避するのではない。予科練の傷痕、妻の自殺で受けた傷を癒やすためでもない。無論、戦争で死んでいった数多くの英霊や妻の霊を弔いたいという気持ちはあったが、同時にこれから自分の新しい生き方を模索するために、残りの人生をこの比叡の山にゆだねてみたい、という激しい心の疼きが、酒井阿闍梨を揺さぶった。


「祇園精舎の鐘の声」諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰のことわりをあらわす」戦乱に明けくれ、この世常ならざる中世においては、高貴な方はものの哀れを感じて仏の慈悲にすがり、西行法師、兼好法師らは無常感から出家した。現代の比叡山の僧はどんな動機から現世を離れ、出家得度したのか。


山田恵諦師は、十歳で得度したが、生まれた兵庫県の斑鳩(はんきゅう)村鵤(いかるが)は聖徳太子ゆかりの地で、太子が建立した観音堂、現在の天台宗斑鳩寺を「お太子さん」と呼ぶほど、仏心の篤いところであり、寺の法師さんは、村長や校長よりずっと偉い人であり尊敬されていた。「お坊さんて偉いんやなあ」と子ども心にも感心し、それが動機で坊さんになった。



(小林隆彰師)



小林隆彰師も、空海にゆかりのある四国・讃岐出身で、信仰を身近にして成長し、列車事故に遭いながら無事であったことに感謝して、十二歳で比叡山にあがった。


葉上照澄師は、名刹の出だが、大正大学教授、新聞論説委員という知識階級に属し、太平洋戦争の敗戦を機に四十四歳で出家した。贖罪の意味もあったかと推測される。


箱崎文應師は根っからの在家のもので、人生の苦渋をなめ尽くし、漁師仲間を大勢海にうばわれたあと、彼らの魂をやすめるために、自ら一念発起して比叡山を目指し、四十歳でやっと出家得度を許された。そこには漁師仲間の魂の救済のためという強烈な目的意識があり、得度する場所は比叡山でなければならなかった。


さて、酒井阿闍梨の場合はどうか。


予科練から生きて還ったものの、戦後の混乱時代、さまざまな正々流転を経験し、人生の辛酸をなめ、無明の闇にあえぎ、はては妻の自殺という救いのない「地獄」にのたうちまわったあと、気がついた時には自分が時代にただ流されてきた空しさを噛みしめた。そして偶然、叔母につれて来られた比叡山で、これまで自分が知らなかった世界があることに目を履ひらかれた。それは偶発的なものであった。


酒井阿闍梨は素直に、


「宗教でもいろいろあるわね。キリスト教だとか、あるいは仏教のなかにも、たとえば真言宗だとか、ね。もしきっかけがそういうふうに流れていったら、比叡山ではなく、そっちのほうに行っちゃったね。宗教がどうの、仏教がどんなもんだか全然知らなかったんだから。ただ何か生き方を模索していたのは事実だね」


と、語る。



(根本中堂 傳教大師像)


何か得体の知れない激しさだけが心に渦巻き、酒井阿闍梨はある日急に比叡山が「恋しく」なって、足が自然に歩き出した。矢も盾もたまらなく小林師に会いたくなった。電車賃がないわけではないのに、無性に歩きたくなって夕方7時過ぎにアパートを出、夜中通して大阪から比叡山まで歩き、弁天堂に着いたのは次の日の午後3時を過ぎていた。


酒井阿闍梨はそこで「仏の門」を叩いた。


続く、



参考文献


生き仏になった落ちこぼれ 酒井雄哉大阿闍梨の二千日回峰行

島一春 著  佼成出版社


阿闍梨誕生 比叡山千日回峰行・ある行者の半生

和崎信哉 著  講談社