認知的不協和 | 現実を見つめ理想に向けた一歩を

現実を見つめ理想に向けた一歩を

 少しでも世の中のためにお役に立つ記事を!

 

認知的不協和の例え話でよく引用されるのがイソップ物語の「すっぱいブドウ」である。
 
狐がおいしそうなブドウを見つけ、取ろうとするがどうしても取れない。
狐はブドウを取るのを諦めて「あのブドウはすっぱいに違いないからまずいだろう」と自分を納得させてその場を立ち去るというものである。
 
 
 
認知的不協和とは、人が自分のなかで矛盾する認知を同時に抱えた状態、またはその時に覚える不快感をいう。
 
上の狐の例でいうと、ブドウを食べたい、しかし食べることができないという不快感が生じる。
 
それを解消するために取りえる行動は2つである。
・ブドウをとらない(諦める)
・ブドウがとれないという事実を否定する(すっぱいから食べない)
 
 
認知的不協和を解消するために、手に入れられない物や地位の価値自体を否定することで不快感を解消しようとする行動や発言をすることがある。(当然しないこともある)
 
個人的な感想をいうと、悪あがきに見えてあまりいい印象を受けないから、よした方がよい。
 
 
下の例は、アメリカのたばこ会社の喫煙と肺ガンの因果関係についてコメントしたものであるが、どう見ても悪あがきにしか聞こえない。

”煙草を吸う人が肺ガンになりやすいのは、煙草が肺ガンを誘引するのではない。ストレスを抱えている人がストレスを和らげるために煙草を吸うだけであり、ストレスが要因となって肺ガンを引き起こすだけで、煙草と肺ガンの間に因果関係はない。”