前回、「神っている考察」の記事で神の捉え方が東洋と西洋では違うというを書いたが、神だけではなくいろいろな面でモノの捉え方が違う。
それを相対的視点と絶対的視点という面で捉えてみたい。
日本人は相対的で、西洋人は絶対的視点でモノを見ている。
(日本人ではなく、東洋人といいたいが自信がないので日本人にした。西洋人もすべてが対象とも言う自信がないが大筋そうだろうと捉えている)
年を表すとき、我が国では元号を用いている。
明治以降は天皇の代が変わるたびに年号も変えることになっている。
それ以前は天皇の交代以外にも随意に改元していた。
西暦では 紀元前(B.C) と 紀元後(A.D) でキリストの誕生を基準にしている。
年の表し方は日本は相対的で西洋は絶対的視点で表している。
物の見方として、自分の目の前にいる人間(1人)をどう表現するか。
英語では、相手が誰であっても you である。
日本語は、自分と相手の関係によって言い方が変わる。 あなた、おまえ、貴殿、貴様、てめえ・・・
これも、絶対的価値を視点にするか、相対的価値を視点にしているかの違いである。
日本語と英語は言葉の構造がだいぶ違うということで、文法を勉強することが大事であるなどと言われている。
しかし、日本人は日本語の文法をしらなくても理解できるし、英語のネイティブが英語の文法を知らなくても英語を理解できる。
文法が大事ではないとは言わないが、その元にある、視点の持ち方や時間、場所の捉え方、などその言葉の持つ引力というものを理解しているから幼児でも言葉が喋れると理解した方がよい。
その引力を言葉の法則で纏めたのが文法と捉えた方がよい。
その議論をすると長くなるので、いずれ機会があれば記事にしたい。