前に、英語教育をテーマに下記の記事を書いた
英語アラカルト
結構、英語や教育に関心のある人からの反応が良かったので、それに関連したネタで書いてみたい。
その前にニュースを一つ紹介すると、今日の朝刊に、2020年からの小学校の英語の授業が5年生から英文法を教えるとあった。それに対する教える側の不安や問題点なども載っており、今後、大きな関心事になるのを感じた。
話を戻して、記事のタイトルを言葉の風土にした理由を述べたい。
言葉というものは、どんな言葉であれ、それぞれの民族性、地域、環境、歴史、宗教観などで作られ発達してきたものである。
例え話として家の構造を例にとると、
- 木の家、
- 石の家
- ブロックの家
- 鉄筋コンクリートの家
などの種類がある。
言葉にも、そういう分類があるが、言語研究者が扱う問題で一般的にはなじみがない。
また言葉を教えている人も、日本語なら日本語、英語なら英語と、それぞれの言葉に対する取り組みだけである。
言葉の構造の違いを理解しないで、英語を教えると日本語とのギャップの差に戸惑いを感じる。
素直にそういうものだと受け入れる人(子供)はいいけれど、疑問が解消しない人は、学習が進むにつれて英語がいやになる。
言葉の構造の違いとは何か。いろいろな考えがあると思うが、個人的には次のように考える。
- 膠着語
- 屈折語
- 孤立語
による分類である。大まかに説明すると、
膠着語:基本となる語に助詞や助動詞が付属して文法的な関係を示す言語。アルタイ語系
日本語、朝鮮語、トルコ系、モンゴル系
屈折語:語尾変化によって文法的な関係を示す言葉。インドヨーロッパ語系
英語、ギリシャ語などの多くのヨーロッパの言葉、アラビア語、サンストリック語
孤立語:屈折や癒着という方法ではなく、語の配列の順序で文法的な関係を示す言語
中国語
それぞれの言葉の系統には、独自のルールが在るわけである。
家の構造でいうと、柱と柱の接続の仕方、壁と柱との接続、ハりや窓、扉の付け方などが違う訳である。構造によっては、あったりなかったりするものもある。
木の家の構造しか知らない人にブロックの家の作りを説明しても理解するのは難しい。
言葉の構造と実際の言葉を教える時の関係についてどう結び付けるか。
特に日本語と英語の関係において重要であると考えている。
日本人の英語のレベルを上げる原動力になる可能性を秘めている。
個人的に意見はあるが、長くなるのでここでは記述しない。
興味のある方は下記を見てください。
⇒ 日本語と英語の違いを考える(クリック)