明日 〜赤山地下壕跡を歩く〜 | YU-MEとChanson(シャンソン)

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酔いどれ歌うたいのネガティブライフ

 

若い頃は占いが好きだった。

(昔話ばっかりだね、私)

 

 

 

見えない明日を占っては

ときめいたものだった。

 

 

 

当たると評判の占いに

どれだけ足を運んだことか。

 

 

 

だけど不思議なことに

いいことを言われた時は

全部当たっていると信じるくせに

 

 

 

悪いことを言われると

ハズレてると思う。

 

 

 

都合がいいんだよねぇ

私の脳みそって(笑)

 

 

 

この歌の主人公は

明日がどうなるのか占ってみるけど

 

 

 

だけど結局

最後は神様に運命を委ねてる。

 

 

 

でもさ

 

 

 

きっと明日のことなんて

分からないから面白いんだよね。

 

 

 

さて今日の一曲は

Simoneの曲から

”O Amanhã(明日)”

 



ブラジル音楽なので

ポルトガル語で歌っています。

 



先日のライブ動画から

ピアノは徳山みえ子さんです。

 

 

 

よろしかったらお聞きください♪

 

 

 

 

 

 

 

入口で手指を消毒して検温を済ませ

 

 
ヘルメットを装着して向かったのは
 
 
赤山地下壕跡。
 
 
 
この場所は第二次世界大戦の時に
防空壕として建設され
発電所や病院施設などがあったところ。
 
 
 
合計した長さが1.6kmもある
全国的にみても大きな壕。
 
 
入口付近。
 
 
 
この辺りから驚くほど空気が冷たくなる。
 
 
自力発電所跡。
 
 
 
4気筒200馬力のディーゼルエンジンが2台
発電機2台、変圧器9個があったんだって。
 
 
 
うーん…
 
 
 
詳しいことはよく分からないけど
きっと凄いことだったんだろうね。
 
 
大きな空間が続く。
 
 
手で掘ったんだなぁと
壁を見ると分かる。
 
 
 
何だか愛おしくなる。
 
 
すごいよねぇ、もはや芸術。
 
 
これはトイレの跡。
桶が置いてあったんだって。
 
 
 
戦争中で贅沢は言えないとはいえ
こんな丸出しなところで…
 
 
当時の電気は
どんな明るさだったんだろう。
 
 
あの穴が何に使われたのか
分からなかったけど
 
 
 
壁の模様が地層みたいで
(地層なのかも知れないけど)
何だか綺麗。
 
 
ここにも。
 
 
この部屋なんて
肉眼で見ると宇宙みたい。
 
 
戦後になると
壕はキノコ栽培に使われたそうで
このお風呂もその頃のもの。
 
 
立ち入り禁止の部屋を
柵越しに覗いてみる。
 
 
 
暗くてよく見えない…
 
 
こちらも。
 
 
 
柵の向こうに
さらに柵。
 
 
 
何があるんだろう。



空襲で爆弾の振動があると
天井の土がサラサラと落ちて来たそうで…
 
 
 
怖かっただろうなぁ。
 
 
 
 
 
コロナ禍とはいえ
平和な時代に生きていると
どうしても忘れがちだけど
 
 
 
その昔、私達の国も
戦争をしていたんだよね。
 
 
 
そして今も戦争は
遠い国の話なんかじゃない。
 
 
 
いつだって背中合わせにあるもの。
 
 
 
こういう貴重な施設を
保存してくださることに感謝して
今を大切に生きたいと思う。
 
 
 
そして折角、ご先祖様方が
繋いでくださった命だもの。
 
 
 
生きている限り
しっかり燃やしていかなくちゃ
申し訳ないよね。
 
 
 
遠い昔に思いを馳せて…

 









母ちゃんと一緒に

父ちゃんの施設へ洋服を届けた。

 

 

 

こんな季節になっても

まだ寒いらしい。

 

 

 

脳梗塞の後、麻痺が残ってから

すっかり寒がりな父ちゃん。

 

 

 

コロナ対策で窓を開けているから

どうしても寒いんだって。

 

 

 

だからこの時期なのに

薄めのフリースを持って行った。

 

 

 

無事に届いたかな。

 

 

 

帰り際、父ちゃんのいる階に

車の中から呼びかけた。

 

 

 

バイバーイ!

また来るよー!

 

 

 

私の心の声も

どうか届きますように。

 

 

 

 

 

 

 

YU-ME