碧き海に祈る | YU-MEとChanson(シャンソン)

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酔いどれ歌うたいのネガティブライフ

そして私達は
陸前高田から南三陸町へ。
 
 
 
やっぱりこの町も
ほとんど何もなかった。
 
 
 
かつては沢山の人達が
暮らしていた町だったのに
 
 
 
悲しいほど
何にもないのだ。
 
 
 
一部開園した復興記念公園の中にある
「祈りの丘」からは遠くに海が見渡せる。
 
 
 
あの日
荒れ狂ったなんて信じられないほど
穏やかな碧い海。
 
 
いま、碧き海に祈る
愛するあなた
安らかなれと
 
 
 
祈りの丘の頂上にある名簿安置の碑。
ここには犠牲になった804名の
名前を記した名簿が納められている。
 
 
遠くに見える穏やかな海が
まるで壁のように押し寄せるなんて
本当に信じられない。
 
 
祈りの丘から
階段を踏みしめて
 
 
防災庁舎へ。
 
 
 
この場所から防災無線で
「高台に避難してください」
と、30分に渡って必死に呼びかけた女性は
屋上へ避難した後に行方不明になり…
 
 
 
4月に遺体で見つかった。
 
 
 
24歳だった。
 
 
 
この防災庁舎の屋上へは
30名の職員が避難したけれど
 
 
 
助かったのは
わずか10名だった。
 
 
 
 
 
 
 
こちらの建物は
330名の命が助かった高野会館。
 
 
結婚式場だったそうだ。
 
 
間近で見ると
被害の大きさがよく分かる。
 
 
エレベーター部分。
 
 
あの青いところまで
津波が押し寄せた。
 
 
 
屋上に避難した方々…
どれだけ恐ろしかっただろう。
 
 
 
地震発生後
わずか25分ほどで
津波が町を飲み込んでいった。
 
 
 
高台へ逃げる…
 
 
 
それがどれだけ難しいことだったのか
現地に立ってみて、よく分かった。
 
 
 
小さな町とはいえ
場所によっては高台まで
かなりの距離がある。
 
 
 
身体の不自由な方やご高齢の方は
どうしようかと考えている間に
波に飲まれてしまったかも知れない。
 
 
 
ただただ
やるせない。
 
 
 
 
 
 
 
そして南三陸を訪れたら
ぜひとも立ち寄りたいと思っていた
 
 
”サンサンと輝く太陽のように
笑顔とパワーに満ちた南三陸の商店街”
というコンセプトで
2012年2月から仮設商店街としてオープン。
 
 
 
そして5年後の
2017年3月3日(サンサン)に
本設オープンした。
 
 
広々とした敷地に
様々なお店が28店舗もあって
楽しい商店街だった。
 
 
 
 
 
 
 
この商店街の中に
さりょうスタジオという写真館があって
 
 
 
そこでは「南三陸の記憶」という
写真展が開かれている。
 
 
 
自然の脅威と
人間の儚さや力強さ…
 
 
 
分刻みで追いかけてゆく
壮絶な写真の数々に
堪えても堪えても涙が溢れた。
 
 
 
言葉では説明の出来ない
深い想いだった。
 
 
 
沢山の方々に
見てもらいたいと思った。
 
 
 
 
 
 
 
商店街の片隅に
モアイ像が佇んでいた。
 
 
 
"モアイ"はイースター島のラパヌイ語で
「未来に生きる」という意味だそうだ。
 
 
イースター島から寄贈された
世界に2体しかない目の入ったモアイ像。
 
 
 
モアイに眼を入れると
マナ(霊力)が宿ると言われる。
 
 
 
ここで生きる方々の未来を
ずっと見守ってくれるに違いない。
 








今、腐らずに前を向くのは

かなり難しい。

 

 

 

だけど被災地を訪れてみて

もっと過酷な日々を生きた方々を想うと

前を向かずにはいられない。

 

 

 

この十年余り

記事には出来ないような

沢山のことがあった。

 

 

 

そして私から

転職という選択肢が消えた。

 

 

 

だから前を向く。

 

 

 

普段はネガティブな私だけど

今は前を向くしかない。

 

 

 

それで沈むなら

もう仕方ない。

 

 

 

 

 

 

 

YU-ME