今月の戦利品だよ(・ω・)ノ
どんだけ買ってんだよってちょっと思った(^^;;

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オズくんかっけぇ♡♡♡

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ちよたん かわゆい//

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リーオとオズくんがなんかデシャヴw

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箱買いしたのだ‼←

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チビギル可愛いーーー‼
アリス密封ww

オスカー伯父さぁぁぁん…>_<…
内容知っててもやっぱ泣ける…
おまけはウケタw

小説は買ったけど写真忘れた←
エリーが出てきたんだぜ♡
オズワルドが可愛すぎたww

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エリーかわええ//
ギャーって感じがやばい‼


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世界的に有名な児童文学「不思議の国のアリス」
ウサギを追って不思議の国に迷い込んだアリスのファンタジーストーリーは、世界中で人気である。現在でも新作映画が作られ続け、世代を超えて子供たちを魅了している児童文学の傑作だ。

この作品は作者であるルイス・キャロルの少女趣味も影響して、数多くの都市伝説が作られている。また、物語の主人公であるアリスという少女には、実際にモデルとなった人物が存在している。

これらの接点により、ルイス・キャロルとアリスの歪んだ性愛を想像してしまう人も多かった。そして、人々の興味はルイス・キャロルとアリスの間に多くの作り話を生み出した。
ここでは、代表的な作り話を1つ紹介しよう。


☆都市伝説「アリス惨殺」☆

アリスという女の子はイギリスに実際に存在した。青い瞳とブロンドの髪の毛を持ち、明るく気さくな性格の彼女は、当時中年に差し掛かっていた「売れない小説家」を魅了した。
だが、アリスはまだ10歳にも満たない少女。「売れない小説家」はもちろん振られるどころか、周囲の人間から変人扱いをされる。

そのストレスから「売れない小説家」は薬物に手を出す。毎日毎日、薬物トリップでハイになりながらアリスの事を考えた。
トリップ時に見た幻の世界を、小説家は執筆して本にした。それが空前のベストセラーとなり、小説家は名誉と富を得た。彼は「売れっ子小説家」となり、周りから尊敬されるようになった。

そのころアリスは少女から女性になっていた。小説家はアリスに「君をモチーフにした本を書いたんだ」と報告する。
名声と富を得て自信に満ち溢れている彼に、アリスはすぐに夢中になった。二人は愛し合い、恋人同士になった。
そしてアリスをモチーフに「不思議の国のアリス」は生まれたのである。

念願叶った恋だったが、小説家はやはり少女にしか興味がなかった。そして、アリスが自分以外の男と性関係を持ったことがあると知り、汚れたアリスに幻滅した小説家は最終的にアリスをレイプしながらなぶり殺した。死体は自分の裏庭に埋め、その上に彼女をイメージして作られた噴水を置く。

その後、小説家は次々と町の少女達を犯す。「売れっ子小説家」だったために誰も彼を疑うことはなかった。

小説家は少女達を犯しながら、ある女性と結婚した。そして、彼女との間に3人の娘と1人の息子に恵まれる。
その後も多々本を出版し、裕福で幸せな生活を送っていたが、息子を犯そうとしたところを妻に目撃される。小説家は少女だけでなく、自分の息子である少年にまで手を出そうとしたのだ。

ショックだった妻は娘たちを連れて逃げる。残された息子は、父親に犯されたショックで喋れなくなる。喋れなくなった息子を見て、小説家は初めて自分の今までの過ちを後悔する。

息子を近くの教会に預けた後、彼は崖から飛び降りて自殺。しかし、彼の手にはアリスの綺麗なブロンドの髪の束があった。

ネットなどでも度々お目にかかる、アリス惨殺説の内容だ。しかしこれはまったくの作り話で、実際の話とはまったく別次元のものだ。

では、不思議の国のアリスはどのように生まれたのだろうか?
そして作者ルイス・キャロルとはどのような人物だったのだろうか?


☆アリスが生まれた本当の理由☆

「不思議の国のアリス」の作者はルイス・キャロル。この名前、実はペンネームなのである。本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン。実はオックスフォード大学の数学者だ。
彼は作品の中にも、算数や数学を楽しんでもらうための「仕掛け」を取り入れている。数学者であるドジソンは、なぜ摩訶不思議な冒険物語である「不思議の国のアリス」を執筆したのだろうか?

ドジソンは前述した通り、確かに少女趣味があった。しかし、性の対象として少女達を見ていたかというと疑問視をする意見もある。

ドジソンがロリコンと呼ばれる原因は、彼が趣味で撮影した写真の中に、少女達の写真が大量にあったからだろう。彼は少女達を被写体に写真を撮影するのが趣味だった。
ヨーロッパでは珍しいチャイナドレスや、ギリシャ神話の女神の衣装を少女達に着させ、フィルムに収めてコレクションにしていた。現在で言うところのコスプレ撮影会を、ドジソンはなんと100年以上前に実行していたのだ。
そして彼はコスプレだけでなく、少女達を全裸にしてフィルムに収めていた。現在の日本では一発アウト、即退場な強烈な行為である。

しかし、これは仮説に過ぎないが、ドジソンは当時流行だったロマン主義の影響を強く受けており、神に最も近い純粋無垢な存在として裸の少女たちを見ていたのではないかとの指摘がある。
だとしたらドジソン=ロリコン説が成り立たないかもしれない。ただ真相は闇の中、真実はドジソンと少女達だけしかわからないのだ。

ここで話を戻そう。先ほど、ドジソンが撮影していた少女の中に「アリス・リデル」という少女がいた。
黒髪のボブヘアに彫りの深いオリエンタルな雰囲気は、現在でも超美少女で通用するほどの美しい少女だった。そう、彼女こそがアリスのモデルとなる少女なのだ。

ドジソンとアリスは、仲間と一緒にボート遊びをしていた。その中でドジソンはアリスを主人公にしたお伽話を即興で作り、ボート遊びに参加した少女達に話した。その話は少女達には刺激的でロマンチックだった。
ドジソンは少女達の喜ぶ姿を見て得意になった。そして文章にまとめ、アリス・リデルにプレゼントした。これが「不思議の国のアリス」の原型、「地下の国のアリス」だった。

(アリス・リデル 当時7歳)
その後、ドジソンは物語に加筆し、挿絵を入れて「不思議の国のアリス」完全版として出版したのだ。そしてご存知の通り、アリスの完全版はベストセラーとなり世界中で愛される児童文学となった。


☆ルイス・キャロルとアリス・リデル☆

ドジソンがアリス・リデルと知り合った時、すでに彼は20歳を超えていた。かたやアリスは4歳の少女。
歳の離れた二人の男と女は「不思議の国のアリス」を通じてどのような人生を歩んだのだろうか?

①ドジソンのその後
ドジソンの少女撮影の趣味はエスカレートする一方だった。アリス・リデル以外にも、多くの少女を撮影した。
ドジソンが好んだコスプレや全裸での撮影は、たとえ性的目的がなくても歓迎される行為ではなかった。事実、ドジソンは少女達の家族とトラブルになることもあった。全裸で少女を撮影しているのだから当然である。

そしてアリス・リデルの家族も、最初は歓迎していたがエスカレートするドジソンの行為に不信感を募らせる。自分の娘がベストセラー小説の主人公になったとしても、親としては娘がドジソンとこれ以上一緒にいるのは不安だった。
そして、リデル家はドジソンとの縁を完全に切ることになる。縁を切った理由はわからないが、ドジソンがアリスに恋心(もしかしたらそれ以上)を抱いていたのがバレたという説もある。

ドジソンはアリスと疎遠になった後、「不思議の国のアリス」の続編となる「鏡の国のアリス」を執筆した。これはアリスにもう一度会いたいという気持ちで書いたという説もある。

その後、ドジソンはある時を境に、写真の趣味をバッタリと止めてしまう。もしかしたら、またどこかで少女の家族とトラブルを起こしたのかもしれない。 地位も富もありながら、独身貴族を貫き65歳で生涯を終えた。

独身の理由が少女趣味だったかはやはり不明である。もちろん、ドジソンが少女達に性的イタズラをしていたという事実は一切ない。

②アリスのその後
そしてもう一人。「不思議の国のアリス」の主人公になったアリス・リデル。彼女はどのような人生を歩んだのだろうか?

イギリスの上流階級に生まれた彼女は、4歳からドジソンと知り合い、10歳の時に「不思議の国のアリス」の元となる「地下の国のアリス」をプレゼントされた。
この時ドジソンには下心があったかもしれない。となれば、彼女は幼年期から20歳を過ぎた大人の男を翻弄していたということになる。まさに生まれながらのモテ系女子と言えるだろう。

アリスの美貌はその後も進化を遂げ、大学生になった彼女はついに頂点に達することになる。
その時の彼女の彼氏は「レオポルド・ジョージ・アルバート王子」なんとイギリス女王ヴィクトリアの四男なのだ。ドジソンだけでなく、王族すら虜にしてしまうアリスの魅力は本当に凄まじい。

そして20代後半に大地主で治安判事の男性と結婚。上手く玉の輿にのり、順風満帆な人生を歩み、82歳でその生涯を閉じた。現実のアリスは最強のモテ系女子として青春を疾走し、玉の輿婚を成功させて地位と名誉まで手に入れていたのだ。


~ドジソンが生きた時代は日本の江戸末期から明治初期~

開国により、ガラパゴス状態だったチョンマゲ&着物の小国が、一気に世界に晒された時代だ。当然、好奇心旺盛なドジソンも日本に興味を抱いていた。ドジソンの死後、遺品の中から日本の童話が複数発見された。
ドジソンは独特の文化を持つ日本を、現実世界の不思議の国と思っていたのかもしれない。



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私の1番大好きな童話です♡


この童話は1284年6月26日にドイツのハーメルンで130人の子供が突然行方不明になった事件に基づいている。この事件は、ハーメルン市の公式記録文書にも記載されている実際に起こった失踪事件である。事件の経緯は次の通り。1284年、ハーメルンに「鼠捕り」を名乗る色とりどりの布で作った衣装をまとった男がやって来て、報酬と引き換えに街を荒らしまわるネズミの駆除を持ち掛けた。ハーメルンの人々は男に退治の報酬を約束した。すると男は笛を取り、笛の音でネズミの群れを惹き付けると、ヴェーザー川におびき寄せ、ネズミを残さず溺死させた。
しかし、ネズミ退治が成功したにもかかわらず、ハーメルンの人々は約束を破り、笛吹き男への報酬を出し渋った。怒った笛吹き男はハーメルンの街を後にしたが、6月26日の朝に再び戻って来た。

住民が教会にいる間に、笛吹き男は再び笛を吹き鳴らし、ハーメルンの子供たちを街から連れ去った。
130人の少年少女が洞窟の中に誘い入れられた。洞窟は内側から封印され、笛吹き男も洞窟に入った子供たちも、二度と戻って来なかった。
連れ去られた子供たちの後を追えなかった、目の見えない子と声の出ない子の2人が町に残り、笛吹き男が子供たちを連れて行くのを見たと証言する。


☆なぜ子供たちは「消えた」のか?☆

これには4つの説がある。

「遭難説」
1284年6月26日は、“ヨハネとパウロの日”という夏至祭りの日にあたり、ハーメルンではこの祭りの日の夜に、ポッペンブルク山に“夏至の火”を灯す習慣があった。この山には切りたった崖があり、その真下は幅が150メートルもある底なし沼になっていた。
そこから一つの推測が成り立つ。子供たちは大人の真似をして山に火を灯そうと自分たちだけで山に向かうが、夜道を行列になって歩いている時、崖から足をすべらせて、次々に底なし沼に転落して死んでしまった。

「ハンチントン舞踏病説」
子供たちは何らかの伝染病にかかり、ハーメルンの他の住民に感染しないように町から誘い出され、別の場所に隔離されたとする説。(以前ペストが流行した時の対応と似ているため)
また「子供たちは踊りながら」という箇所について、ハンチントン舞踏病ではないかともいわれている。舞踏病の集団発生は、ヨーロッパの村でペストによる苦難の期間以降に遍く記録された、共同体内での舞踏性躁病の発生の一例を連想させる。

「少年十字軍説」
巡礼または少年十字軍運動のようなもので、子供たちが集団で町から出ていったが、それ以来二度と両親の元へ戻らなかったとする説。これらの説では、名前の出てこない笛吹き男は、運動のリーダーか新兵徴募官であったと解釈されている。

「子供開拓者説」
子供たちは東ヨーロッパの植民地で、彼ら自身の村の創建者となるために、自ら望んで両親とハーメルン市を出ていったとする説。
この時代にできたいくつかのヨーロッパの村と都市は、ハーメルンの子供たちが開拓(ドイツ植民)して築いた努力の結果であると考えられる。この説でも笛吹き男は、運動のリーダーであったと解釈されている。

現代の学者たちは、1番目の事故死説と4番目の植民説が最も可能性が高いと考えている。1番目は日付と風習、地形が合うことなどから支持されている。4番目は13世紀に活発だった東ヨーロッパ植民活動が考えられ、笛吹き男として描かれているのは徴募者で、ハーメルンの若い世代の大部分を、遠いドイツ東方の土地への植民として募りに来たとしたものだ。


☆ステンドグラスの絵と法律☆

この物語は、1300年頃にハーメルンのマルクト教会に設置されていたステンドグラスの題材としても取り上げられていた。このステンドグラスは、ハーメルン市の悲劇的な史実を表現して制作されたものだと考えられているが、残念ながら壊されてしまい現存していない。

1440年頃の文献が残っている。それによると、犠牲となった子供たちに対する哀悼の意を込めて、ハーメルンのある特定の街路では、歌ったり音楽を奏でたりすることを禁止する法律が長く定められていたという。



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