かわいい歌声とややのんびりとした曲想で、誰しもの頬を明るくゆるませる童謡「サッちゃん」。しかし、この童謡の詞の背景には様々な「都市伝説」がまとわりついている。

☆「踏切事故」説☆

この詞は北海道・室蘭で起こった踏切事故をもとに作られたという説がある。

ある雪の降る夜、下校途中の桐谷佐知子ちゃん(14歳)は、踏切を渡っていた時、遮断機が下りてきたので急いで渡りきろうとした。しかし雪で見えなくなっていた線路の溝に足がはまり、くじいてしまう。必死で逃げようとしたが逃げ切れず電車に轢かれてしまった。

しかも体は胴のあたりで真っ二つになってしまう。しかしあまりの寒さで血管が一時的に固まったため、即死ではなく数分間だけは生きていたという。
彼女は腕だけで這って踏切の外にでた。意識がなくなっていく中で、彼女は死の寸前まで自分の失くした下半身を探していたという。

☆歌詞との符合☆

踏切事故説の根拠は、2番の歌詞にある。
「サッちゃんがバナナを半分だけしか食べることができない」というような歌詞だ。
そして3番では「サッちゃんは遠くにいく」のような歌詞もある。「半分=肉体が真っ二つ、遠くにいく=死を暗示している」という解釈により都市伝説は誕生したのだろう。

しかしこの事故説を一蹴する説がある。サッちゃんは今も生きているという説。そして驚くことに、サッちゃんは皆さんもご存知の「あの人」なのだ。

☆衝撃の展開 サッちゃんの正体!?☆

作詞した阪田寛夫氏は、サッちゃんのモチーフは近所の少女だと語っている。では、その近所の少女とは誰なのか?
まずあだ名がサッちゃんなので名前は「サ」から始まる人物。そして阪田寛夫の近所に住んでた人物。

それはなんとタレント・作家としても活躍中の阿川佐知子さんなのだ。
阪田寛夫氏と彼女の父・阿川弘之氏は知り合いで、互いの自宅も近く、週刊文春連載の「阿川の『この人に会いたい』」と言う対談で、阪田氏はサッちゃんのモデルは佐和子であることを告白した。
しかし、阿川氏は2011年3月18日放送のTBS系『ぴったんこカン・カン』に出演した際には、サッちゃんのモデルは「幼馴染の少し影のある少女が転園したときの思い出を詞にした」と阪田氏の言葉を紹介し、「阿川佐知子」説を自ら否定した。

事故説(都市伝説)、阿川説、幼馴染説。あなたはどれを信じますか?


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「とおりゃんせ」は江戸時代に成立したと見られるわらべうた。互いに問答をかけ合うように歌われるが、その意味はよくわからない部分が多い。とくに「行きはよいよい 帰りはこわい」のくだりがどこか不気味だ。

とおりゃんせ とおりゃんせ
ここはどこの細道じゃ
天神さまの細道じゃ
ちっと とおしてくださいな
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに
お札を納めに参ります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも とおりゃんせ とおりゃんせ

☆なぜ七つでお礼参りするのか?☆

民俗学的見地から見る場合、最も注目すべきは「七つのお祝いに お札を納めに参ります」との一節であろう。古来から、7歳は男女の別が備わり社会の仲間入りをする年齢とみなすのが全国共通の習慣である(数え年の7歳は、現代では満6歳を指し、義務教育が始まる年齢に相当する)。

乳幼児死亡率の高い昔は、子供が7歳まで生きることが難しかったため、無事な成長を願う儀式が必要とされた。
そのなかで比較的多いのは、「赤ちゃんが生まれた直後、紙を人型に切って神棚へ祀り(まつり)、7歳までの守り神とする。7歳の宮参りになると、それを氏神(うじがみ)へお返しして、社会の仲間入りをする」というパターンである。

つまり、7歳まで無事に育った子供は、守り神をお返しする通過儀礼を経て、社会の一員として認められるようになり、同時にそれは、今まであった守り神を断ち、神霊のチカラなしに生きていかねばならないことを意味する。ゆえに「行きはよいよい、帰りはこわい」というわけである。

☆天神さまはどこにあるのか☆

「天神さま」とあるのは、平安時代の学問の神「菅原 道真(すがわらのみちざね/845-903)」を祀ってある神社のこと。一説によれば、『とおりゃんせ』の舞台は、埼玉県川越市の三芳野神社(みよしのじんじゃ)とされている。

三芳野神社は昔、川越城の城郭内に移されたため、「お城の天神さま」と呼ばれていたそうだ。お城の中なので、一般庶民は気軽に参拝できなくなり、時間も限られ、見張りの兵士も付けられた。
特に、他国の密偵(スパイ)が城内の機密情報を持ち出すことを監視するためにも、帰っていく参拝客に対して見張りの兵士が厳しく監視をしたという。これも「行きはよいよい 帰りはこわい」の背景、由来となっているとのことだ。

貧しい農村で起こった子殺しの歌?

「とおりゃんせ」は、貧しい農村で起こった子殺しの歌だという言い伝えがあるそうだ。

その言い伝えとは・・・

七五三のお宮参りが住むまでは子供は神様のもので、 死んだ子供の魂は神様の元へ帰っていく。 天神様の境内で殺せば子供の魂は迷わずまっすぐ天国へ行ってくれる。 母親はそう考え天神様に子供をつれてお参りに行き、そこで子供を殺した。

殺した子供を埋め、母親は急いで家へ帰っていく。 決してうしろを向いてはいけない。 少しでも振り向くと子供は母親に呼ばれていると思って 黄泉(死後の世界)から帰ってきてしまう。

殺したはずの子供の幽霊が母親を恋しがってあとをついてこようとする。 それが「帰りはこわい」の理由。 「行き」は「逝き」、「帰り」は「甦り(黄泉帰り)」に通じているのだという。

天神さまの境内が殺人の現場とはなんとも恐ろしい。小説「楢山節考」にある姥捨伝説に相通じる解釈ともいえ、興味深い。

☆作者は松尾芭蕉?☆

この歌が江戸時代中期頃から一般に歌われ始めたことや、 詞に登場する「細道」という言葉、詞中での登場人物が「細道あたりまで行っている」ことを考えるとこの歌の作詞者は「おくのほそ道」の作者でもある松尾芭蕉とする説もある。
つまり、この歌詞は彼の「体験談」というわけだ。

☆芭蕉とする根拠☆

歴史的に考えると「細道」とは、「古代道」や「大きな街道」が通っていない道と想像できる。「陸奥(みちのく)」の語源が「道の奥」であるのは通説で、 これは、実際に「古代道」の整備が遅れたこと、 または途中で整備が中止になったこと(盛岡の胆沢城付近と 秋田の秋田城付近まで)に由来している。

松尾芭蕉は実際に岩手県の盛岡あたりまで北上したが、 それ以北には進まず、秋田方面に進路を変えている。
彼が「本当は青森付近まで旅をしたかった」と仮定すると、 盛岡あたりの関所(?)で「御用のないもの 通しゃせぬ」と言われたので 進路変更を余儀なくされ、そのために 「行きはよいよい 帰りは怖い」と思った。 あまりに印象深い体験だったので、紀行文の題名そのものを 「おくのほそ道」(盛岡・秋田以北の道の意)にしたのではないか。

こうして見ると面白いですね
個人的には芭蕉説が興味深いですが「行きはよいよい 帰りはこわい」を元に他にも色んな解釈がありそうですね



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予告無しにブログ消してしまって申し訳ないです;;
すぐに更新するつもりだったのですが最近忙しくて…

とりま最近描いた絵を少し…

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何気、首領のインパクトがw
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