「君の光の部分をもっと広げていく、価値観を少し変えていくことも大切なんじゃないかな」
今日面談した人にこう言われた。率直に嫌悪感と怒りが湧いてきた。
簡単に背景を話す。
まず「あなたにとって嫌な人は?」と「良い人は?」を壁打ち形式で深堀りしてもらった。
その結果、僕は人一倍承認欲求が強いって話になった。この時点で少しイラついていた。が、ここは筋が通っていたので、特に問題はない。イラついていたのは別の問題だしね。(別記事で書く)
で、承認欲求が強い流れから、僕が人間関係において「嫌な人と接すると『もうこいつはいいかな』って思って切り離します」ってことを伝えた。
そしたら「でもさっき人が好き・新しい価値観が好きってのも浮かび上がってきたよね。だったら切り離すって行為は矛盾してるんじゃないかな」って言われた。
これも、まあそう映るだろうという流れだったので納得はした。だから僕はこう伝えた。
「僕にとっての嫌なやつは『自分の意見を持ってないやつ』です。そういうやつと過ごす時間は好きじゃない」って。
そしたら相手の方に「歩みよる努力も大切なんじゃない?君の光の部分、つまり人が好きをもっと広げていく、価値観を少し変えていくことも大切なんじゃないかな」
「それこそが社会に求められる人だよ」
そう言われた。この時、僕はかなりムカついたし、イライラした。そして極め付けは
「たしかに君は大変な経験をたくさんしてきている。だからこそ、自分を守るため人を切り捨てるしかなかったんだろうし、それは周りの責任だ」
これで僕の怒りのボルテージは最高潮を迎えた。
さて、少し説明しようか。
なぜムカついたのか
大きく分けて3つある。
- 人が好き=光の部分
- 君の考えでは社会に受け入れられない
- 君の責任ではなく周りの責任
人が好き=光の部分
まず人が好き=光の部分って表現。これじゃあまるで、人との関わりを制限していることが影、つまり後ろめたいことのように表現されている。
少なくともネガティブなイメージだ。
今少し冷静になって、この言葉を見てみると僕はすごく悲しい。
内向型出身の僕にとって、興味のベクトルは外ではなく内、つまり自分に向いている。だから人を制限しなければ、情報量が多くパンクする。
これは僕だけじゃなくて他の内向型の人もそうだ。でもこれは弱みなんかじゃなくて、特性だ。
なのに、まるでそれをネガティブな情報として扱われた。それが凄く悲しかった。
確かにこの性格で自分らしく生きるのは大変だった。だから苦しい思いをした末に、八方美人な自分から大きく変わっていけた。
それをそのまま否定された気がした。
君の考えは社会に受け入れられない
先の否定されたような話。これハッキリ言って、否定されるだけならまだ良かったのかもしれない
というのも、否定の仕方が内向型への知識の無い人の否定方法だったため「あ、こいつ勉強してないな」って切り離せる。
でもムカついたのは「社会に受け入れられない」って言われたこと。
これは少し婉曲した表現になっているが、実際は「人に歩み寄ろうとするA君と切り離すB君どっちが企業から求められると思う?A君でしょ?だからこそ、君の考えでは社会から求められないよ」って感じだった。
社会。
この言葉は本当に怖い。だって社会なんて1つの答えもないのに、何でそんなことが言えるんだ。
普通。
普通の定義なんてどこもないのに、なんでそんな暴論を振りかざせるんだ。
「ミスマッチを減らすために考えていこう!」なんていうんなら、社会に求められることしたらダメだろ、そうと思った。
僕は社会とか普通とか常識とか一般的とか、そういった不透明で不確定で無いものを振りかざしてくる奴は嫌いだ。
だって、社会にとって嫌いなものも好きなものもないはずなのに、、、僕のように嫌いって表現すらできないはずなのに、、、。
全ての企業を見ることができないから自己分析するんだろ?なんでこっちが社会に求められるように価値観を変えないといけないんだよ。
言い回しを変えるならわかる、内定をもらった後で擦り合わせたらいいんだから、表現をいじりつつ本質を残すのはいいと思うんだ、だって嘘はついてないし、結局人事に気に入られても人事と仕事するわけですらないし。
でも自分の価値観を変える意味がわからない。何で自分の譲れないところを、有象無象のために変えないといけないのだ。
そう思うと怒りを感じた。こんなにハッキリした怒りは久しぶりだった。
君の責任ではなく周りの責任
極め付けがこれだ。ガチでもうオンライン部屋抜けてやろうかってくらいイラついた。
僕がこういった嫌いなやつとは絡みたくないって考えになったのは、過去の辛い経験からきている。
でもそれはネガティブなことで、社会から受け入れられない悪いことだ。
でもそれは君のせいじゃない、周りの責任だ。
は?
それじゃあまるで、自分の人生を自分で責任持ててないみたいじゃないか。
こちとら17歳の時に自殺を考えてから、生きてるだけでもラッキーだと本気で思って、だからこそこの命を大切に使いたいってずっと思ってる。
だから自分で選べることに幸せを感じるし、大変であっても選ばないことほど屈辱なことはない。
そして選ぶには責任が伴う。
だからこそ成功があり、失敗がある。
プログラミングスクールに通う通わない、webライターで独立するしない、長期インターンやるやらない、個人でSNSやるやらない、、。
たくさんの選択をしてきた。中にはミスったなってものもあるし、よかったなってものもある。
でもどちらに転んでも、次にいかせるし、自分で選べたことに喜びがある。選ぶときは大変に感じることも少なくないけどね。
なのに、周りの責任だと?ふざけんな。こっちは自殺まで考えた末に、周りの顔色伺わない生き方に出会えたんだ。そしてやっと仮面をつけたままの人生にさようならを告げたんだ。
苦しい中で自分なりに選んだ道だから、それが良くてそれが幸せなのに。
何でお前に否定されないといけないんだ。
そう思った。
でも怒りは悪いことじゃない
まあここまで読んでくれているあなたは、多分僕のことがかなり好きなんだろうと思う。
ちなみに僕もあなたのことが好きだ。なんとなくだけど、ここまで読んでくれてる人の顔は浮かぶからね。
で、じゃあこの記事は怒りを吐き出して終わり!ってのでもいいんだけど、ここからも少しだけお付き合いお願いします。
怒りはわるいことじゃないって話よ。
怒りには色んな理由があるけど、強ければ強いほど嫉妬だったり、自分自身の絶対に譲れないものとの反対だったりする。
今回は後者の要素が強いけど、前者もなくはないのかなと思う。
そうやって人の顔を伺わずに「価値観変えた方がいいよ」なんて言える人間だったら、こんな苦しい怒りの感情も湧かなかったんだろうなって思うから。
だからあの人に僕の気持ちがわかることは恐らくないだらう。
話し方もオブラートに包んだつもりだろうけど、こちとら傾聴と話し方の本10冊読んでるから、付け焼き刃の言葉は全部わかる。
仮に本心でも、僕には上辺だけのフレーズに聞こえることばかりで、価値観を変えるなぞいう人格否定をされた気持ちばかりが残った。
だからこそ、自分の価値観が浮き上がってくる。
わかりやすい説明をする方法には色々あるけど、反対のものをぶつけることが挙げられる。
男と女の違いは?局部に竿があるかどうか。
ほらわかりやすいでしょ。これは違うところが浮き彫りなるからわかりやすい。
だからこそ、今回の怒りで見えてきたこと。
価値観を否定してくる人とは居たくないし、そういう人がいるなら逃げられるような力がほしい。
あの人自身は悪気がないんだ。善意でやってる。
でもだからこそ、あの人が僕の気持ちに気づくこともないのかな、どうだろう。
まあ、あの人とずっと過ごすのは無理だな。
ただ、今後何度か面談することになっている。
僕としては貴重な機会だと思ってる。だってこうでもしないと、嫌な人とじっくり話し合わないからね。
これもまた選択だよ。自分の中に毒を持て、じゃないけどさ、毒を持つ選択をできる。
まああと、その面談相手の方自体はいい人だと思うよ。ただ僕とは合わんし、おりたくない、ただそれだけ。
最後まで読んでくれてありがとう。改めてありのまま生きられる社会に貢献したいと思ったし、僕自身がありのままであることの重要性もわかったと思う。ムカついたけど、そんなに悪い気はしてないんだ。