②「宇都宮LRTで城跡探訪」篇
「飛山城跡」停留所から「飛山城史跡公園」までのどかな田園地域が広がっているので,地図を見ている段階ではどこか簡単に歩けるルートはないかと探してもいた
まあっ航空地図で見ても歩いて行くにはちょっと難しそうなのが分かったし,結局は無難な一般道路を選ぶのが良かろう。それに,下手な選択をしてかえって行き詰ってしまうよりはいいだろうし。
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飛山城史跡公園
とびやま歴史体験館
なにも案内はないし,ただの土盛りかもしれないが私 気になります
それよりも事前チェックの周辺案内にもある通り,その反対側の木々の間に見えるのは土塁である
施設に辿り着く前にちょべっと道筋を逸れて,案内板を見ていくことにします
土 塁 ・ 堀
この堀と土塁は、城の一番外側を守るためのもので、
発掘調査の結果、上幅約14m、下幅約4~5m、深さ
5~6mの箱堀で、大規模なものでした。
現在の堀は、遺構の保護層を設けているため、当時よ
り浅く整備されています。
宇都宮市教育委員会
遺跡の発掘調査などでも一度各年代の地層まで掘り進んで,当時の状況を確認した後には ビルや住宅を建てるために破壊されることもあるが,空気や風雨による劣化を防ぐためにこれまでと同じ状態で維持するのに埋め戻すことはママあるからね
それでもこれほど綺麗な状態にして再現されている史跡はそう多くないだろう
櫓 台 4
この突出部は、見張りのための櫓台と考えられます。
一番外側の6号堀には、5か所の櫓台が約100m間隔
で設けられています。
この櫓台は、発掘調査の成果を踏まえ復元整備したも
のです。北側の木橋を渡る敵に対し、「横矢掛け」がで
きるよう工夫されています。
宇都宮市教育委員会
よ う こ そ
飛 山 城 跡
へ
NPO法人 飛山城跡愛護会
広いエリアに広がっている城跡であるが,「正面入口」のようになっているこの場所から入るのが一番なのでは🚳
木橋
調査により、ここに木橋があった
ことが判明しました。この場所は東に
のびる古道と一直線に位置します。
この道を降りていくと、芳賀氏の
菩提寺である同慶寺に行くことが
できます。
なお、木橋をわたった内側には
大手門があったと考えられますが、
調査で確認することができません
でした。
飛山城史跡公園
所 在 地 宇都宮市竹下町
国指定年月日 昭和52年3月8日
時 代 と 棟 別 中世の城跡
古代の棟跡
管 理 団 体 宇都宮市教育委員会
飛山城跡は、鎌倉時代の後半に、芳賀高俊により築かれたと
伝えられています。芳賀氏(清原氏)は、益子氏(紀氏)とともに
「紀清両党」と呼ばれ、宇都宮氏を支えた武士団です。
城の規模は、約14haと広大で、東と南側を二重の堀で、
西と北側を鬼怒川によって守られています。
城内は、中央の4号堀により大きく北と南に分かれます。
北側はさらに3本の堀により厳重に守られ、2号堀に囲まれた
部分が、主郭(本丸部分)と考えられます。
南側は小規模な溝により、東と西に分けられ、その東側は、
倉庫や兵士の詰所があった場所と考えられます。
なお、城内に1棟だけ整備した茅葺きの建物は、古代の
緊急連絡施設である「烽家」に関連した建物です。
でわっ資料を得たり,基本データを確認するのにここを見学してからが良いかな
「『第4回SAITAMAなんとか映画祭』でも。」篇(20240302-03)から