文化の敗北を直視し続けた誠実なアーティスト~坂本龍一の死去に寄せて | ユマケン's take

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デビュー作オンリー作家による政治・文化エッセイ。マスコミの盲点を突き、批判を中心にしながらも
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 2023年3月28日、坂本龍一が死去した。さまざまな見方がある中、僕にとって坂本龍一はアーティストとアクティビストの間でもがき続けた人だった。

 

 この葛藤は彼の気高い誠実さがもたらしたものに違いない。同時にとてもファニーでチャーミングな一面もあり、そのギャップが彼の魅力の源にあった。

 誠実な人は誰しも現代の根源的な問題を直視する。

 

 坂本龍一が直視したのは、政治腐敗が極まった破滅一歩手前の現代と、それに対する文化の無力さだったのではないだろうか。

 日本人の表現者として彼ほど熱く社会変革に取り組み、多面的にアクションを起こした人は他に見当たらない。なぜそれは20年以上、彼の命が尽きるまで圧力に屈することなく続けられたのだろうか。哀悼を込めて、音楽家ではなくアクティビストとしての坂本龍一について考えたい。

 



1:坂本龍一と対をなす村上春樹



 

 坂本龍一は自身も何度も言うよう、徹底した個人主義者だった。だが個人主義はいつもその対極にある博愛や多様性とつながっていて、それは社会変革を求めるリベラリストにも通じる

 訃報を伝えたTBSの『ニュース23』では「やむにやまれぬ思いで社会活動をしている」といった彼の言葉が取り上げられた。死去の後の朝日新聞には「見て見ぬふりはできない、声を上げない方がストレスだ」といった発言が掲載されていた。

 坂本龍一にとって音楽は個人主義、アクティビズムは博愛性を発揮する場だったのだろう。彼の誠実さは音楽と共に世界全体にも向けられていて、自由気ままな個人であると共に世界中の人との共生を望むコスモポリタンでもあった。

 彼と対をなすのが村上春樹のような表現者である。彼は坂本同様、世界的な権威と世界中の人に届く表現の場を持ちながらノンポリ・非政治的な態度を貫いてきた。

 

 「ねじまき鳥クロニクル」だけは唯一の例外で、この小説からはあきらめをベースにしながらも根源的な政治批判が痛烈に発せられている。しかし以降の30年は独自の小説路線を突き進んできた。

 このように極端な個人主義者でも博愛に反転しないシニカルな人もいる。そういう人と比較すると、カッコつけず泥にまみれながら社会活動に身を投げた坂本龍一の姿はなお輝いて見えるのだ。

 

 



2:社会活動の熱源にある文化の敗北



 坂本龍一は環境破壊と政治腐敗が極まった現代を直視し続けてきた。

 

 そして、それは同時にそんな絶望的な世界に対してあまりにも無力な文化・アートへの直視だったとも言える。

 彼はそもそも政治的な人で、学生時代にはデモに参加しバリケード封鎖も実行。しかし政治闘争に敗れたことで、いさぎよく音楽の世界に邁進することになる。

 YMOや映画音楽のコンポーザーとしての成功で「世界のサカモト」の地位を確立。活動拠点もニューヨークに移し、音楽家として世界中を飛び回るようになったが大きな転機がやって来る。

 2001年NYで9.11同時多発テロが起こり、坂本龍一はここで大きな転機を迎えたことがうかがえる。

 

 先のニュース23の中、過去の筑紫哲也とのトークで彼は9.11の報復としてアメリカがアフガン戦争を始めることに反対の意思を示した。

 なぜ、何億人もの人が世界中にいるのにブッシュ(当時のアメリカ大統領)を止めることができないのかと憤った後、そんな時代の音楽の価値について語った。だが、その言葉からは、文化に関わる表現者としての無力感がひしひしと伝わってきた。

 坂本龍一がアクティビストとして大きく舵を切ったターニングポイントは9.11後にアフガン・イラク戦争が起こったことにあるように思える。

 

 

80年代・90年代の坂本龍一は音楽という文化の中で

間接的に政治闘争をしていた面もあったのではないか。

 

音楽で世界中の人たちのこころを浄化すれば、

それが政治的な改革にもつながるのではないか。
そんな思いが音楽家としての大きな

モチベーションの1つとしてあったように思える。

 

 

 2001年以降の対テロ戦争以上に、2022年のロシアのウクライナ侵攻はそれが夢物語だったことを突き付けるものだった。ウクライナ侵攻は、世界にとって戦後の民主政治と共にポップカルチャーを始めとした文化の決定的な敗北を示すものでもあった。

 

 人類はまた世界大戦のループに逆戻りし、文化による社会変革の試みもまた完全に失敗してしまったのだ。

 坂本龍一は9.11テロの時点でこの結論に達していたのではないか。もちろんそんな諦念の中でも彼は美しい音楽を作り続けアートに希望を持っていただろう。だが、彼があれほどアクティビズムに情熱を注いだのは、第一に文化の敗北という現実を直視し続けていたからに違いない。

 

 



3:坂本龍一の社会活動を成功させた4つの要因



 坂本龍一のような人は他にいない。表現者として唯一無二のワークをしながら社会活動家として大勢と共にアクションを起こす。なぜ、彼に続くような人が出てこないのだろう。

 

 それは坂本龍一がアーティスト兼アクティビストとして最適なポジションに身を置いているためであり、そしてそれが他の人には極めて獲得しがたいものなのだからだ。

 

 歌手や俳優などの表現者がアクティビストになれない理由はまず、世間から容易にバッシングされること、そして政治的な忖度が働く芸能界から表現の場を奪われることなどがあげられる。

 

 

坂本龍一がそうならないのには4つの要因がある。

 

1つ目は「世界のサカモト」という権威。

2つ目は「教授」と呼ばれる知的なバックグラウンド。

3つ目は社会活動に硬軟が入り交じっている事。

4つ目はコスモポリタンという点からだ。

 

 

 彼は映画スコアのコンポーザーとして世界のサカモトという権威、名声を得た。一方で80年代から日本では政治・文化的な論壇に加わってきた。作家・村上龍を始めとした文化人との知性溢れるトークが書籍化される中、「教授」というニックネームが一般にも定着していった。

 これによって彼の政治的な批判は圧倒的な発言力を持った。世界的な権威によって浅はかな中傷をかき消し、知的なバックグラウンドによって生半可な知識人の批判を寄せ付けなかった。

 硬軟を織り交ぜた社会活動もまたバッシングを緩和する効果があっただろう。坂本龍一は反原発などのハードなアクションと同等に、環境保全や復興支援などソフトな支援活動もしていた。




4:国家の圧力からも自由なコスモポリタン

 

 10代の頃から世界のどこでも暮らせるコスモポリタンになりたいと思っていた

 

 坂本龍一はそう語っているが、この点もまた彼がアーティスト兼アクティビストとして成功した要因だ。彼の生活とビジネスの拠点はNYにあった。そのため彼は日本人でありながらほぼ外国人というユニークな立場にあり、ここもまた日本でのバッシングへの緩衝材になっただろう。

 また、これによって政治的な忖度が働く日本の芸能界の圧力とも無縁でいられる。

 

 日本でミュージシャンとしての場を奪われても彼には世界のマーケットがあるのだ。日本の側でもそれが分かっているので、多くの場合、最初から誰も圧をかける気にならなかったのではないか。

 こういった点を見てゆくと、坂本龍一のような人が他にいないのが理解できる。桑田佳祐のようなJポップのレジェンドでも、政治改革を叫べば知的なバックグラウンドの薄さからたちまち中傷の嵐に襲われるだろう。

 僕が思うに北野武は坂本龍一に1番近い人物であり、アーティスト兼アクティビストになれる可能性は充分にあった。彼もまた映画監督として「世界のキタノ」という圧倒的な権威を築き、80年代から日本の文化的な論壇にも加わり、著作も多く出してきた。

 だが、北野武はコスモポリタンではなかった。

 

 根っからの日本人であり生活・ビジネスの拠点は日本のまま。坂本同様、リベラルな立場で政治批判もしていたが、日本の芸能界に縛られているためにアクティビストにまではなれなかった。

 坂本龍一に非常に近いもう1人の人物、村上春樹は世界に身を置くコスモポリタンだった。だが先に書いたよう彼は現実に見て見ぬふりをするノンポリを貫き、社会変革の道を断った。ノーベル賞から無視されてきた般的な理由もまた政治的な不誠実さにあると評されてきた。

 

 



5:最悪の時代を前に散る偉人の命



 

 坂本龍一は自分の音楽と等しく世界にも誠実に向き合い、

成功と知性に支えられた確かな発言力と

勇敢なアクションで、社会変革に挑みつづけ

自由なコスモポリタンという立場によって

日本の抑圧とほとんど無縁でいられた。

 

 

彼のいなくなった世界はじょじょに

第三次世界大戦に向かおうとしている。

 

 

 実力が拮抗した大戦争は長期化するほどおびただしい犠牲によって後戻りできなくなり、ある臨界点に達する。ウクライナ戦争は今の時点では核戦争以外の終結が想像できない状況だ。
 

偉人の中には最悪の時代を前にして死ぬ者も少なくない。

 

 芥川龍之介は日本の地獄の15年戦争が始まる4年前、1927年に自殺。ジョン・レノンは現在も続く格差拡大の元凶となったレーガンの新自由主義が始まる前、1980年に暗殺された。

 坂本龍一の死去もまたそのような一例になるのだろうか……。

 

 誰よりも誠実にそして美しく生き抜いた恩恵として、最悪の時代に入る前に神から幸運な死を得たのだろうか。その答えはまだ誰も知らない。■