安倍元首相暗殺事件から1か月が過ぎ、多くの人は決して口に出すことはできない想定外の結論を得たのではないか。それはあの暗殺が間違っていなかったということ。この世には、正義の暗殺というものがあるということだ。
あの事件によって日本は良くなった、日本の民主主義は大きく前進した。多くの歴史学者は何年たっても決して認めないだろうが、年月が経つにつれ人々の間で1つの暗黙の了解として、この認識が自然と広がってゆくだろう。
今、僕は日本のマスコミに対して
最大限の拍手を送りたい。
この1か月、日テレを始めとしたマスコミは
マスゴミの汚名を完全に返上した。
統一教会と自民党のゆちゃくを徹底的に追求し、内閣改造後も岸田政権の支持率は最低水準、安倍の国葬に関しては国民の不支持が支持を逆転した。特に「ミヤネ屋」は、報道の自由賞的な何らかのジャーナリズム賞を獲るべきだ!(^^)!。
だがこのマスコミの大奮闘も国民的な啓蒙も、あの暗殺がなければ始まってさえいなかった。これは否定しがたい事実である。
今回は、安倍暗殺で浮上した腐敗を取り上げ、平和主義の立場から、カルト宗教や独裁政治といった絶対主義体制には民主的解決策はなく、力しか打開する道がないことを示したい。
1:戦時中からカルト国家だった日本
安倍暗殺事件が明らかにした最大の腐敗は、日本における政治と宗教の歴史的なゆちゃくである。自民党は選挙のため、宗教は政治保護や信者獲得のために協力しあい、この半世紀以上ウィンウィン関係が続いていた。
しかもこの大問題は、まるでカルト宗教のタブーと同じように、ジャーナリズムの議論のテーブルに乗ることさえもなかった。この事実が明らかになると、日本は元々カルト国家だったということが思い出された。
太平洋戦争前、多くの日本人は教育や徴兵を通じて
日本が神の国であり、天皇がその最上位にあって
国民全員が天皇の子孫に当たると教え込まれていた。
それはカルト宗教と同様の洗脳である。
北朝鮮も今同じような洗脳状態にあるが、アメリカはそんな北を常々カルト国家と呼んでいる。
日本はそもそも統一教会のようなカルト宗教が根づくのに最適な国だった。民主主義の建前の元で独裁を進める自民党とも相性が抜群だった。
カルトと独裁は、道理も論理も倫理も通らない
絶対主義という点で通じ合っている。
それはまさに問答無用
話し合う議論の余地さえ与えない狂気の世界だ。
統一教会は韓国が母体のカルトであり、自民党の本流は極右の清和会や安倍一族にあるので、なぜ真逆のこの2つが結びついたのかと思う人もいるだろう。だが、それらは保身や権力欲という点で一致している。
民主国家の元で独裁を広める自民党にとって、保身のための最優先事項は選挙に勝つこと。選挙に勝ちさえすれば、たとえ自分たちの主義思想とは真逆の組織でも手を組む。
自民党の保守派が韓国のカルト宗教と長くウィンウィン関係に合った事実は、そういった恥もプライドもない独裁政治の腐敗を示している。
2:保守が保護したカルト宗教の日本マネー詐取
安倍暗殺によって浮上した問題で最も共感しやすいものはやはり統一教会の無数の信者が受けた被害の大きさだ。
これは山上容疑者の暗殺の直接的な動機になったことでもある。この点で、統一教会の恨みが安倍元総理に向かうのは飛躍だという見方をする人がいて、容疑者はこの理由から現在、精神鑑定にかけられている。
だが、彼は統一教会に対してと同様、このような犯罪組織の存在を認める社会自体も許せないといった文面も残している。
安倍元総理を始めとした自民党保守派は代々、このカルトを当局の摘発から保護してきた経緯がある。つまり統一教会の犠牲者が、安倍を狙う事には何の飛躍もない、至極当然の事なのだ。
統一教会による被害総額は34年間で1200億円以上、一方でニューヨークタイムズはアメリカの統一教会に入った日本の献金を原資にした総額が約36億ドル(約4800億円)で、これを元手にアメリカで寿司ビジネスを広めたと報じた。
これはもう1カルト宗教による
国家レベルの壮大な詐取である。
韓国が関わっているとすれば、ネットでよく言われているよう日本はこの半世紀、韓国のいいカモになっていたということだ。これが事実なら北朝鮮の拉致被害よりも遥かに甚大な被害になる。しかも表面上は韓国に強硬な自民党の保守派や右翼団体がそれを後押ししていたのだ。
国粋主義者たちが実は売国奴だった
という皮肉すぎる事実はそのまま
ナショナリズムというものの空虚さや
保守主義者の根本的な私利私欲ぶり
を明示している。
宗教への大々的な規制、フランスの反セクト法のような犯罪収益を上げるカルト宗教を徹底的に取り締まる法律を作る必要がある。免税などのさまざまな法的な庇護も解かねばならない。
何しろ献金というだけで詐取が白になるような異常事態が今も起こっているのだ。宗教への過保護は、今後日本でも主要な政治イシューにしなければならない。
3:日本のカルト洗脳が悲惨にした太平洋戦争
昨日、77回目の終戦の日を迎えた日本では多くのニュースで今も戦争が続くウクライナに思いを寄せる報道が流された。そこには第一に戦争反対を訴える多くの日本人の真心がある。
だが、少なからずかつては日本も今のウクライナと同じように戦争で傷つけられたという被害者感情もふくまれているだろう。
そのため戦争を知らない若い人たちは少なからず、今ウクライナを攻撃するロシアとかつて日本を攻撃したアメリカを同一視してしまうかも知れない。だが、今のウクライナとかつての日本は同じ戦争被害国でも性質がまったく違う。
日本が太平洋戦争であれほど
多くの民間人の犠牲者を出したのは
アメリカ軍の残酷さによるものではない。
それは日本が実質的にカルト国家であり、
数多くの洗脳によって戦場での敗戦後も
軍人と民間人が共に徹底抗戦を強いらされたからだ。
日本は神の国であり絶対に負けることはないという不敗神話。アメリカやイギリスに降伏したら皆殺しにあうという鬼畜米英の刷り込み。これらは国民の行いをすべて軍事に縛り付ける国家総動員法の元にもなった。
カルト洗脳があったからこそ、日本軍は戦場での度重なる敗北で敗戦が決定した後も徹底抗戦を続け、その結果、戦場では戦いによる戦死者よりも餓死者が増え、多くの民間人の犠牲者も出すことにもなった。
最近放映されたヒストリーチャンネルの「名もなき人々の戦争」とNHKの「ビルマ・絶望の戦場」では偶然、どちらも戦場の兵士や民間人の生の声や手記を元に、徹底したリアリズムで太平洋戦争の真実を暴いた。
沖縄でもかつてのビルマでもより多くの犠牲を出したのは戦地での敗戦後の絶望的な徹底抗戦や集団自決によるものだった。
ビルマでは悪名高き「インパール作戦」の死者は3万人に達したが、敗戦後の1年の死者はその4倍に当たる12万人に及んだ。
それらはすべて不敗神話・鬼畜米英という日本軍のカルト洗脳による犠牲だった。これはヒロシマ・ナガサキの原爆にも通じる。
アメリカが日本に無条件降伏を突き付けたからだと反論をする者もいる。だが、鬼畜米英という洗脳があったからこそ、日本は過剰に敗戦を恐れたのだ。未だに日本では、敗戦の日が終戦の日と呼ばれるのもその名残に違いない。
「名もなき人々の戦争」ではかつて沖縄の軍国少年だったご老人が、あるすばらしい瞬間について語った。洗脳よりも生きたいという本能が勝りアメリカ軍に投降したら、負傷した日本人を丁寧に治療する米軍の姿を見た。
彼はそこで軍事教育によるマインドコントロールが解けたと言う。鬼畜米英が洗脳だったという事は日本の戦後の歩みを見ても明白な真実である。
カルトと独裁国家はほぼ同一であり、道理も論理も倫理も通じない絶対主義体制を敷いている。コミュ力はゼロで言語道断で何でも決行する。
これが出来上がってしまうと、それを打倒する手段はただ1つ
力に限られる。
日本の戦中カルト国家体制はアメリカ軍による戦争・その徹底的な破壊がなければ決して解かれることはなかった。
だが、安倍暗殺によって日本が戦後から今に至るまでも、独裁制とカルト宗教のゆちゃくによる絶対的な体制を敷いていることが明らかになった。しかもそれは上辺だけの建前民主主義の影に隠れて巧妙に進められていた。
これにより民主的選挙の公正さはゆがめられる。自民党は教育や文化の場から政治性を排除し低投票率の土壌を生み出した上で、宗教の組織票を武器に勝利を続けることになった。
自民党の55年体制はそのように70年近く続いてきたが、ようやくその全貌が明らかになり大きな転換点を迎えた。民間人による政治家の暗殺がそのキッカケとなる。つまりは力によってもたらされたのだ。
暴力・テロ・戦争、これらは最悪の手段でありながらも、
カルトや独裁国家の打倒のためには
唯一有効な手段でもある。
それが現実だ。
もちろん統一教会の問題では、日テレを始めとするマスコミの大奮闘も、日本に大きな改革を促す力になった。ただの力だけでは真の改革にならないことも真実である。
今、アメリカと中国はどんどん戦争に近づいている。中国は専制主義を敷くカルト国家である。世界がグローバリゼーションでそれを正そうとしたが失敗、今アメリカはもはや戦争でしか中国を変えられないという現実に向き合い、準備を始めている。
僕は平和主義者だ。
しかしこの世には力でしか正すことができない
巨悪があることも知っている。
道理も論理も倫理も通じない絶対主義体制が存在し、
しかもそれは自らのその汚点を他者に転嫁して
批判する者を悪魔化することを得意としている。
かつての日本が用いた鬼畜米英という洗脳もその1例だ。
中国やロシアはより大きな力によってしか変わることはない。それがヒロシマのような尊い犠牲を伴う大戦争になるのか、あるいは地球規模の長期的な自然災害になるのか。いずれにしても巨悪を前にしては、民主的・平和的な手段は何の役にも立たないのだ。■