この地に生きる者として | 和泉有真の「刹那の軌跡」

和泉有真の「刹那の軌跡」

大阪出身、東京在住の役者「和泉有真」の活動日誌。
フランキー仲村座長率いる激富の劇団員。
人生と言う軌跡、その「刹那」をお届けしていきます。

夜勤先には色んな外国人がいます。
昨日その中のスリランカ人と話をした。

その考えや行動が嬉しくてたまらなくて
逆に日本人として考えさせられたのでお話します。

夜勤先の外国人も、震災が発生した後何人かが帰国しました。
不安定な情勢ですし、母国の両親も心配だろうから
それを攻めるような気持ちは一切ない。

そんな彼は「日本」を選択した一人。

日本で働き、日本を世話になっている国だとし
何より、日本を愛していました。
そんな国から逃げるなんて、人間ならしないと。

情や義理に厚く、日本の国難を共に闘い、乗り越え
尽力しようと行動を起こした。

震災直後にボランティアを開始しようと問い合わせ
外国人には何かと規制があるみたいですが
彼はすぐさま切替、自分で団体を立ち上げた。

物資を自分で集め、メンバーも自分で集めて
ボランティアの認可が下りるとすぐさま被災地へ。

300食のカレーを振る舞い、建物の修繕を手伝い
街の復興の為に僅か3日ですが活動に勤しんできた様子。

平然と、それが当たり前だと語る。
日本が好きで、人は繋がり合うべきだと語り
日本人が失いつつある、横の繋がりを嘆いていた。

決してそれは日本に適したものではないかもしれない。
「挨拶をすれば、皆友達」なんてのはACのCMじゃないんだから
そう簡単にいく話じゃない。不審がられもする。

でも自分自身「人情」というものの喪失を感じつつあり
またそれに苦しみもした。
人を想う、ってのは身内だけの話じゃない。
必要としてくれる人達だけに向けるものじゃない。

自分はそう感じた。

彼の言葉で「なぜ人には目が二つあるか?」
と言うのがあった。
一つは「自分を見る為」
もう一つは「相手を見る為」だと。
自分だけ見てれば良いなら目なんか一つで良いんだと語った。

まさかスリランカ人とこんな話をするとは思わなかったけど
日本人としてもう一度考えないと、と思った。

皆もそうした方が良い、なんて言わない。
でも少なからず自分は自分を恥じた。

俺には今何もない。
演劇や何かを表現して被災地に届けるには
仲間も場所も何も持ち合わていない。
でもだからこそ何か出来るはずだと思うし
今は楽しませる事よりも、楽しんで前向きになれる環境を
一刻も早く築く事なんじゃないかと思った。

別れ際握手を求め、夜勤先のロッカーでこの縁を喜んだ。

まだ何が出来るかは不透明だけど
この地に生きる人として何かを成したい。

そんな想いは強くなった。

情報は来るべき人に、来るべきタイミングで伝えられる。
この情報はきっと俺の道を指し示してる。
そんな気がする。