すずからのサイン | 軽井沢で美穂の時つむぎ

すずからのサイン


7月1日午前6時頃、どうやらすずは次のステージに行ったみたいです。

母の葬儀も終わり、大泉の家の自室で寝ていたら、いつものように枕をチョンチョンって。
まるで、すずが生きていた時のように私を起こす時と同じでした。

え?すず?チッコ?
ん?違う、そおか・・
もお?もおいっちゃうの?

すずは母の葬儀が終わる迄、私の傍に居てくれたんだ・・

なんて優しい子・・・・・・・

母の死後、すずへの思いを封印していました。
間違って口走った時には叔父から『一緒にするな!』となじられました。

そうだよな・・・
動物と濃密に暮らした事のない人の当たり前の感情。
だから私は一時的に封印する事にした。

すずへの思いを一切封印して・・
すると、一緒に母への思い迄、封印されてしまうのです。
母を見ても3日間、一粒の涙も出ませんでした。
泣き虫の私が泣けない・・
妹も姪も泣いているのに、気持ちの共有が出来なくて焦ります。

3日目の昼過ぎに奥志賀から甥っ子が到着しました。
甥っ子は、私が軽井沢に行ってから毎年5月と11月に泊まりに来ます。
娘達以外に一番、私とすずに触れていた子です。
『俺はこっちも心配だったんだ』

温度差のある妹と姪から離れて台所に居た私のとこに来て背中をさすりながら言ってくれた途端、感情の蓋が外れました。

やっと泣けた・・・・・

泣く事だけが弔いではないけれど、泣けない感情の出口を見失うのは辛かった・・・

『俺ね、こないだ(5月の時)いつも以上に沢山、すずに触ったんだ。いっぱい撫でたんだよな。だからいいんだ。』

甥っ子なりの早めのお別れに納得してくれたのが今考えれば的に嬉しかった。

甥っ子の5歳の娘は私を“すーちゃんのおかーさん”と呼ぶ。
翌日着いた甥っ子の娘はそれまで一度も呼ばなかったのに、私をおかあさん、と呼んだ。
5歳なりの理解と優しさ。
たまに間違えて『すーちゃんのおかーさん』って言うと、まずいって顔をするのが可愛かった。

すずはたぶん神様の所に戻った。
あんなに優しくて良い子だったから、次のお役目が待っているのだろう。
寂しいけど、私は有り余るほどの事をすずから受けた。
それでも次にすずに会う人が羨ましい。
すずをよろしくねって願う。
私の心は一生、お別れ出来ないし、するつもりもない。
それを思い出と言うのならそれでいい。
これからもずっとすずと一緒。
私が生きていく相棒だから。

ひとり言が増えそうだな・・・・・