家弓先生 | 軽井沢で美穂の時つむぎ

家弓先生

印象に残っている先生ブログネタ:印象に残っている先生 参加中

私らの頃、都立は群制で、偏差値やら内申書で、安全牌の群を受けるって感じだったの。

私は76群、3つの学校の何処に行けるのかは、合格発表迄わからない。

受験した学校と発表のあった学校も別で、私は自宅駅から2つ目、しかも完全私服の学校、第一希望のとこだったから、それはそれは嬉しくて…

その時だったな…
私の頭を大きな手で2回、ポンポンとして『良かったな。名前は?』
は、はい!!さ○だみほです!
『待ってるからな。』
はい!

そして、入学式で『おぉ、来たか』と、また頭をポンポンされて…

後に、私の最も苦手とする数学の幾何の家弓先生だとわかった時のショック!!
『わかるやつ、いるか?わかるやつは手を上げぇ~ん?いないのか?んじゃ…さ○だ!』

ぎゃあ…まただ…
亀のように顔を甲羅の中に隠すように、なるべく小さくなって目立たないようにしてるのに、通用しない(泣)


『なんだ、出来るじゃないか…』

この学校、数学(幾何・代数)は、50点以下追試、化学は60点以下追試。乙女心が激しく傷付き、いまだに夢に見る(@_@)

でも、家弓先生のおかげで、ぎり、追試を免れた…

なんか好きだった。
ボサボサ頭のぎょろ目で、声がでかかった…


3年になる年に新宿高校に転任して、その後、校長になり、都連の会長やったり、色々活躍され、定年後は、私立校の校長になったり…


一昨年だったかな…


家弓先生をググったら、先生の訃報を見つけた…
思わず手を合わせた。
まだそんなに日にちがたっていない事に、運命を感じた…


家弓先生、変な意味じゃなく、好きだったよ。
尊敬だってしてたよ。
あっち、逝っちゃったんだね…

私みたいに思ってる生徒、たくさん、いるからね、家弓先生!!