夫への告知。 | イタリアでモロッコごはん

イタリアでモロッコごはん

イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

義姉がノホホンといつものように

救急車で運ばれて入院している間

 

私と夫はいつものように

ノホホンとはしていられない状況だった。

 

 

救急病棟の先生から突然伝えられた

普通の人には、とても辛いお知らせ。

 

私はご存知の通りサイコパス気味だし

家族と言ってもよそ者感覚だし

義姉から超嫌がらせされてきた関係だから

 

義姉の余命宣告を聞いてもショックではなかった。

意外な展開だな....と、予想していなかった病に驚いたけれど。

 

 

 

しかし夫にとってはお母さんは違うけれど(異母姉弟)

ほぼ自分のお母さんと同い年の

夫の事をとても可愛がってくれたお姉さんだし

夫も義姉と同じく繊細さんだから、受けるショックは相当だよね。

 

 

夫は職場から私に電話してきたけれど

帰りの道中、何か起こらないように

電話口で報告するのはやめて

私は夫が家に到着するのを待った。

 

 

 






夫が帰ってきて、「どうだった?」と聞かれて

私は、救急病棟の医師がどんな風に電話してきたかを話した。

 

「残念なお知らせがあります」って。

 

「心の準備は出来ていますか?」って言われたよ。

 

 

 

..........何だって言われたの??

 

 

 

「膵臓癌が見つかったんだって。

 肺と肝臓と骨盤に転移があって、手術出来ないんだって。

 余命は数ヶ月だって。」

 

 

 

夫は、泣き崩れてしまった.....。

 

 

 

私は夫の肩をさすった。

 

 

.........唯一、残った家族なのに。

 

 

夫の家族はイタリアの義姉と、

フランス在住の兄の2人が生き残っている。

 

 

フランス在住の1歳年上の兄は

小さな時に転んで頭をぶつけて出来た

脳の中の良性の腫瘍が

結婚後、フランスに移住したその夜に破裂して

 

開頭手術をして、一命を取り留めたけれど

それから何十年も具合が悪くて今や話すことすら難しい。

 

 

だから、夫にとって

普通に話せるのはイタリアの義姉だけなのだ。

 

 

他の直系の家族は全て亡くなっている。

 

 

 

義姉は足を切断した直後

半狂乱になって夫のことも苦しめて

大喧嘩して鬱にまでおとしめたけれど

 

モロッコにいた頃の二人の関係は良好で

誰のことも信用しない義姉が

小さな弟の夫のことだけ信用して

自分のお金の管理を任せていたりしたらしい。

 

 

義姉は、自分の息子のことよりも

夫を気に入って可愛がっていたらしい。

自分の息子のことは素直に愛せずに

愛のかわりにお金をあげ続けていたらドラ息子に成長したにっこり

 

 

サウジアラビアからイタリアに呼ばれて

労働ビザを用意してもらってVIP状態でやってきた義姉は

通貨がリラの時代の好景気のイタリアを満喫していた。

 

夫は義姉のところに遊びに来て

その後アメリカのグリーンカードに当選したから!と

アメリカに飛び立とうとすると

 

夫をアメリカに送りたくなかった義姉は

夫に札束を握らせて、

「これだけやるから、アメリカになんか行くな!」

と止められて、夫はイタリアに残ったらしい。

 

 

こんな感じで、弟のこと大好きな義姉は

まるで近い将来倒れる自分の未来を予測していたかのように

夫をイタリアに留まらせて

 

私まで巻き込まれたワケだびっくり

 

 

というワケで、苦難の時期を過ぎてしまえば

夫の頭の中は、義姉との良い思い出でいっぱいなのだろう。

 

 

私には知り得ないくらいの

強い絆で結ばれたふたり。

 

 

夫は義姉の余命宣告に悲しみながら

疲れ果てて、泣きながら、そのまま横になって寝てしまった。