救急病棟の医師からの電話。 | イタリアでモロッコごはん

イタリアでモロッコごはん

イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

私が年末にした覚悟は

今までは出来なかった覚悟だった。

 

2016年に足を切断してもなお、

強靭に生き続けている義姉に

このまま、末長く生きてもらおうじゃないか!と

初めて思った、あの日。

 

 

10月の糖尿病科の先生に

「毎年腎臓の値が良くなっているよポーン

と言われたり

 

普段は再検査を言い渡されていたのに

今年はバッチリ!と来年まで再検査なしで良いと言われて

やはり、この人、強すぎる!と唸っていたところ。

 

 

 

今回、救急車で運ばれた時も

先生から電話があって

 

「あの〜、ご家族の方ですか??

 お宅のお義姉さんね、前回下痢で運ばれてきた時と同じように

 在宅看護で点滴で水分補給×7日間、処方しておきますから!」

 

と言われたので、

はい、解りました!と言って電話を切った。






 

 

その1時間後、また救急のドクターから電話があって

どうも、検査結果が全て出て何か先程とは違う様子.....。

 

 

「残念なお知らせがあります。」

 

え???

 

「あなた、大丈夫??心の準備は出来ていますか??」

 

な、何????

どうぞ、続けて下さい看板持ち

(もう、8年前程前から覚悟は出来てるんだけどな真顔


 

 

「お義姉さんに、膵臓癌が発見されました。

 骨、肝臓、肺にも転移が認められて

 手術は不可能な状態です。」

 

 

えーーーーーーーーーーポーン

 

この前の10月の糖尿病科の検診のために

色々検査して、全てOKと言われていたのに!?

 

 

「膵臓癌とは、こうして最後の最後まで解らない場合が多いのです。」

 

 

はぁ......。

沈黙の臓器って言われるもんね。

 

 

 

「これからステントを入れる手術をします。

 これで黄疸は引く予定ですが

 できるのはそれくらいで、お歳ですし、

 化学療法、放射線療法はしない予定です。」

 

 

解りました。

ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

私が年末にした覚悟を

こうやってへし折られるのか。

 

 

まさか、こういう

抗えない病のカタチで

去っていく予想はしたことがなかったので

意外過ぎて、力が抜けてしまったチーン

 

 

義姉はもっとしつこく

強靭な内臓だけで、生き延びて行く予定ではなかったのか?

 

「私は絶対に死なない!病は私を殺さない!」

 

と腹の底から叫んでいたではないか驚き

 

 

 

奇しくも、モロッコで53歳で亡くなった

義姉の妹も膵臓癌+糖尿病だった。

 

彼女と最後の夏、カサブランカの中心街で

ジェラートを食べに行きましょう!と言うので

一緒に食べに行った。

 

以前、ムッチムチに太っていた彼女は

驚くほどガリガリに痩せてしまっていて

歩くのもやっとな感じだった。

 

帰り道、まだ小さかったうちの子供達に

炭火焼きのとうもろこしを買ってくれて

みんなで頬張りながら歩いた。

 

彼女は腹にナイフを刺されているかのような

激痛に耐えながら亡くなった。

 

自宅で打つモルヒネなんて効かなかった。

 

 

 

 

 

我が家の義姉は、3月に滞在許可証の更新があるからと

今年はすぐにモロッコに帰さず

春になってから帰れば良いと、私が介護を続けていた。

 

 

義姉がイタリアにいて良かった。

モロッコにいたら、彼女の妹のように

苦しみ叫びながら最後を迎えるところだった。

 

 

私の感情は揺れ動くことはなく

ただ、イタリアの医療の管理下にあって良かったと思った。