イタリアのホームドクター★大人編 | イタリアでモロッコごはん

イタリアでモロッコごはん

イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

うちの義姉は60歳前に脳梗塞で倒れて

半身不随になって6ヶ月くらい入院していた。

 

退院後、夫が唯一の親戚として

同居するようソーシャルワーカーに呼び出されたのだけれど

きっとその辺りからのお付き合いのホームドクターがいる。

 

義姉は82歳なので25年凝視くらいのお付き合いの医者は

とても真面目でジェントルマンだ。

 

 

コロナの時には感染が怖くて非常に神経質になっていて

いつも防護服みたいなものを着ていて可哀想だった。

 

 

たまに義姉の切断した足が疼くように痛くなり

朝電話すると、家にも訪問してくれる。

 

その日、たまたま私が医師の訪問後に買い物に出たら

彼がとっても素敵な赤い車で帰っていくのを見た。

 

スポーツタイプのジャガーの新モデルだったラブ

 

 

だけどその辺りから彼は酷く疲れた様子で

先日、病気だった奥さんが亡くなったと聞いた。

 

人生色々あるよな〜と思った。

 

 





 

夫のホームドクターは飄々とした医者の息子だ。

彼も、かなりの歳で、もうそろそろ定年を迎える。

 

 

ポンテ ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)のすぐ裏にお家があり

お医者さんだったお父さんは早くに亡くなり

コロナ前にお母さんも亡くなり

彼は結婚もせずママっ子だったけれど、今はひとり寂しくなった。

 

 

休日はかなりスポーティーに

ローラーブレードと両手にピックを持って

ヘルメットを被って

フィレンツェの街中を歩き回っている。

 

 

それがどれだけ疲れるか、

ローラーブレードを持っている私は知っている。

私はカッシーネ公園を半分滑っただけでヘトヘトになってしまうので

街中を走ろうなんて思いもしない。

 

 

夫はよく具合が悪くなるけれど

私がすぐに救急車を呼んでしまうので

ホームドクターを家に呼んだ記憶はない。

 

 

引っ越しを機に家族全員、夫のホームドクターにみてもらうことになった。

 

だけど、習い事など、子供達も結構忙しくて

ドクターに挨拶に行ったことが殆どなかった。

 

先日、娘を久しぶりに連れて行って挨拶すると

 

「彼女は誰??」

 

と聞かれて

 

「え?娘ですよ。」

 

と言うと

 

「えー!君の友達かと思ったポーン爆発したねびっくり

 

と言われた爆  笑

爆発的に成長したということかニヤニヤ

 

 

彼に総合病院で指示された薬の処方箋を書いてもらうために

私は娘を連れてやってきたのだ。

 

 

イタリアは17歳まで小児科総合病院にかかり

18歳以降は一般の大学病院に診察に行くようになる。

 

ホームドクターの範疇ではない

アレルギー検査を娘はギリギリの年齢で小児科総合病院でやってもらった。

 

2015年に検査したきりだったので

専門医に「2年おきに検査と書いてあるのに何故来なかったの?」

と言われて

 

2016年に義姉が足を切断して

2017年にバリアフリーの家に引っ越しして

義姉が精神的に荒れまくっていて

それどころではなかった、と説明した。

 

 

その間、子供達が健康でいてくれたから良かったけれど

私は彼らを公園に連れて行くこともできず

本当に申し訳なく思っていた。

 

 

病人が一人いると、家族のペースが著しく崩される。

 

私は子供達が健康で、目を覚まして

学校に独りで行けるだけで

毎朝大喜びして天に感謝する。

 

 

それくらい、私はみんなに健康であって欲しいと願っている。

逆にそれ以外のものは要らない。

学校で何かやらかしても、勉強が出来なくてもいい。

 

わんぱくでも良い。健康に逞しく育って欲しいウインク

 

みんなが健康でいることの奇跡を毎朝噛み締めていると

それだけで幸せでいられるので、他に何も要らなくなるお願いラブラブ