優しさに触れるたび、私は恥ずかしい | イタリアでモロッコごはん

イタリアでモロッコごはん

イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

タイトルの

優しさに触れるたび、私は恥ずかしい

これは藤井風さんの「優しさ」の歌詞の一節です。

 

 

作曲は幼い頃からの訓練や

聞き込んできた楽曲をもとにできるかもしれないけれど

 

歌詞を書くとか

文章を書くとか

 

作曲のように感覚的にはできない

経験に基づく(もしくは想像に基づく)制作において

ここまで深いものが書けるって

 

藤井風さんは、どれだけ繊細な感性で

数珠の経験を積んでいるのだろう??と

いつも素晴らしすぎて唸ってしまうよね。

 

 

 

 

 

ところで、あなたは

優しさに触れるたび、恥ずかしかった経験はありますか?

 

 

私はね〜、

あるんですよ。

 

 

それは夫ではなく

夫のお母さん、今は亡き義母と過ごしていた時のこと。

 

 

 

その昔、夫には

「お前に愛なんて解るワケがない」

 

と言われた意味が

夫の母親と接して、よぉ〜く理解致しましたニコ

 

(↑フツーの人間ならこの夫からの言葉にどう反応するのでしょうか?

 私はサイコパスなので無反応でスルーしましたけど真顔

 

 

 

夫のお母さんの愛とか優しさといったら

それはもう、私がその辺の地べたの水溜りだとすると

大海原全体が愛そのもの、ってくらい

スケールが違うものでしたの昇天

 

 

いや、張り合うつもりは全くございませんよ。

もう、次元の違うものでしたから。

 

 

彼女から溢れる愛は

決して押し付けがましいものではなく

それはもう、自然と溢れ出てしまっているもので

 

と同時に誇り高い人なので

別に人からの見返りなど何も求めておらず

自分がどんな状況でも満たされていることに

感謝し続けているという。

 

 

ただそこにちょこんと座っているだけで

崇高な愛の塊ってことが

解ってしまう人物だったのです。

 

 

この義母を見た時に

私はそこはかとなく、恥ずかしく感じてしまったのです。

 

彼女の優しさに触れるたび、私は恥ずかしかったのです。

 

 

旦那さんを早くに亡くし

私の夫が6歳の頃から女手ひとつで

どれだけの愛を放ちながら過ごしてきたのだろう?と思うと

想像するだけで深いため息がでます。

 

 

そして夫は、お母さんが泣いているところを

見たことがなかったそうです。

 

優しさに溢れながらも

気丈でとても強い女性なのです。

 

自分の末息子、私の義弟が43歳で亡くなった時も

泣いていなかったそうです。

 

彼女は祈ることで

自分の気持ちを浄化させているようです。

 

 

夫はお母さんから叩かれたこともないそうです。

モロッコ人女性はよく子供を引っ叩いておりますがニヤニヤ

そんなことしなくても、解らせる術を持っていたのでしょう。

 

 

雰囲気的には皇室の美智子上皇后のような

静寂の中にある優しさって感じの

 

全くその辺の元気の良いモロッコ人とは違う

アルジェリアで生まれた人です。

彼女の母親がベルベル系で、ベルベル語も話せました。

 

 

なんでこんな人の下で育った夫が

水溜り程度の愛チューお日さまが照ったら枯れてしまうような愛しか持たない

私と結婚したのかが、サッパリ意味不明ですが

 

とにかく私は、

義母に接する度に、モジモジと恥ずかしく思っていたのでした。

 

 

藤井風さんは、どんな人の優しさを前に

恥ずかしいと思ったのかしらん?

 

 

 

あなたの恥ずかしいエピソードもあれば

是非教えてくださいね♪

 

 

 

 

 

↓こちらはおまけの MV撮影舞台裏