なんでこんな人に!?と憤っていた私へ。 | イタリアでモロッコごはん

イタリアでモロッコごはん

イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

本日も、素晴らしいお話を聞かせて頂いたから

皆様にもお裾分け〜お願い

 

 

 


 

エドガー・ケーシーの

祝福の水路になるというお話。

 

 

もうね、過ぎてしまった

過去の事だけれど

それを全て明解に説明してもらった感じ。

 

私の過去の葛藤から解放されて

心にストンと落ちた感覚。

 

素晴らしかったです。

 

 

この動画を見て

まだ葛藤中の人には解らないかもしれないけれど

もう葛藤を乗り越えて、許しに突入しているのであれば

妙に納得いくお話だと思います。

 

 

 

私は夫と結婚することを決めて

結婚式の予約もして

絶対に逃げられなくなった時点で

 

義姉が脳梗塞で倒れて

半身不随になって現れて

介護と同居を強いられた時

 

もう、絶対にそんな事

受け入れるのなんて嫌だったのだけれど

 

この究極の状態で突きつけられた

 

同居するか?

それともオバ捨て山に捨てるように

どこかに放置して私達は逃げるか?

 

この選択は、天から試されていると

直感的に思ったんだよね。

 

 

 

そしてこの動画で話されている

祝福の水路になるということは

 

天から究極の課題を突きつけられた時

自分のエゴを全て捨てて

「神が喜ぶと思うような行動をしなさい」

という教えなのね。

 

 

私も考えましたよ。

 

夫はモロッコの濃い助け合いの文化で育っているから

しかも今までお世話になった姉をオバステ山には捨てられないのね。

 

だけど、新婚生活はこんなハズじゃなかった

とも思っていたんだよね。

 

この葛藤の中、夫はもちろん、

同居するって答えるって私は解っていた。

 

 

 

そしてエゴの塊みたいに生きてきた私は

そこで大暴れして別居・オバステの道を

辿っても良かったのだけれど

 

夫と一緒に過ごす=同居

 

という図式が、

夫と出逢う前に行ったモロッコ旅行で感じた

 

「保育園も老人介護施設もないモロッコの究極の助け合い文化」

 

に感銘を受けた私と

どうしても重なり合ってしまったんだよね。

 

 

 

そして私が別居を選択する = 感銘を受けたけれど実行しない偽善者

 

のような、とても責任ある課題のように思えてきちゃってね。

 

 

こうして私と夫は同居という決断に至ったのだけれど

その時はもちろん、こんな素敵な動画は見たこともなかったし

 

「神が喜ぶと思うような行動をしなさい」

 

なんて、きっと信仰深い夫は

もちろん、ナチュラルにこの教えに従ったのだと思うけれど

 

エゴの塊で悪ガキのような私には

本当に地べたで這いつくばってもがいている昆虫

のような、どうして良いか解らない状態で受け入れたんだよね。

 

 

 

こんな思いで同居を受け入れたのに

義姉は本当に意地が悪くて

私の事をいびりまくって

ストレスの捌け口にされ続けて

 

足を切断してトイレにも行けない時だけ

本当に悔しそうに「グラッツィエもやもや」と言いながら

私にオムツを替えてもらっていて

 

 

その後、リハビリして気分的に持ち直したら

さらに私の事を新居から追い出そうと

周りの人を巻き込んでイビリ始めて

 

 

そして義姉が言いふらしている

私と夫の悪口(弱者の戯言)を周りの人は信じちゃって

 

夫が、姪っ子とNちゃんに言われた言葉が

 

「偽善者め!」びっくり

 

ねぇ、覚えている?

私は偽善者にならないように

自分のエゴを拭い去りながらこの試練に挑んできたのに

 

この15年の苦しみの末、言われた言葉が偽善者チーン

もう、ここで親戚との関係を一切、断ち切ったんだけどね。

 

いや〜、親戚って

どうしても関係切れないと思うけれど

絶対に会いたくないっていうキッカケを

向こうから作ってくれたのであれば、関係断ち切るのもラクよね。

 

ある意味、これも神様からのギフトだったのかもね昇天

 

 

 

 

 

私は

「なんでこんな人の事を介護しなければいけないの?ムキー

 

ってヤキモキ怒っちゃっていたのだけれど

 

 

そんな時、エドガー・ケーシーの教えでは

 

意地悪な事をされたら

思いやりで返すこと

 

なんですってよおいで

 

 

 

もう、私なんて人間出来てないから

そんな事、出来ないワケ。

 

 

だけど、だんだんその攻撃もクリアーしていったんだよね。

そしてクリアーしちゃうと、

10段の跳び箱も慣れちゃうとスルリと跳べちゃうように

今まで辛かったことも、なんてこと無くなるわけよ。

 

そう、私は自由になったのラブ

 

 

 

 

で、エドガー・ケーシーは「協力」を求めるのね。

 

エゴを取り払って、弱い人を助けてみる。

それを実行してみたあと、どうなるのか観察してみる。

 

 

あー、コレだー照れ

 

私が同居という試練を絶対に受け入れなければならなかったのは

 

「エゴを取り払って、弱い人を有無を言わず助けてみる」

 

って事を、とにかく実行しなければいけなかったんだ悲しい

 

 

 

そして、いびられて

嫌な思い出がいっぱい出来ちゃって

 

私はずっとその「嫌な思い出」に反応しちゃっていたんだ。

 

あの時、義姉はこう言っていたから

今回もこういう風に私を攻撃してくるに違いない物申す

 

 

いや、本当に油断すると

グサーナイフ銃爆弾って毒吐いてくるから

いつも鎧で防御しないと!ってことしか

考えていなかったのね。

 

 

だけど、私は

今その思い出からも解放されるフェーズに突入しているの。

 

 

そうするともう、究極の幸せの境地に

近づいてきているってことなのよ、奥様赤薔薇

 

 

私は、本当に今、

同居を選択して良かったな〜と思っているの。

(注 まだ生きているけどな真顔

 

 

 

私の身体を通して

私がやった行為を通して

祝福の水路となって

 

ドロドロとした緑色の水が流れ去って

今、山の湧水のように冷たくて美味しい水が

流れ出したところなの。

 

 

ピンチはチャンス。

 

人生はゲーム。

 

 

私はいつもこう思って挑戦してきたけれど

あのドロドロの山を登りきって

山頂から眺めた景色が

 

こんなにもスッキリと、

全てのモヤが消え去った美しいものであるなんて

 

あの時、偽善者にはなるまい

と思った私には

絶対に想像もできなかった。

 

 

これぞ、何にも替えられないギフトではないか乙女のトキメキ

もう、感謝しかなくなっちゃうんだよね。

 

だから、今の私は

誰に何を言われても

これからどんなに辛いことが起ころうとも

 

全く痛くも痒くも怖くもない

自信が付いたんだハート

 

だって、その辛さを乗り越えた暁には

いつも素晴らしい、感動する景色が広がっているから流れ星キラキラ