私に宿る義母の味 | イタリアでモロッコごはん

イタリアでモロッコごはん

イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

なぜ母と同じ味を君が出せるのか
意味不明と夫がよく言う。

 

 

同じ味とは、私が作る料理が

何故か義母の味とそっくりだと言うのだ。

 

 

私が義母と初めて会ったのは2003年かな??

 

まだ私達は結婚しておらず

今イタリアにいる姪っ子のお父さん

つまり夫のお兄さんが亡くなったと聞いて

もうお墓に入ってしまっていたけれど遅れて訪れたのだ。

 

 

姪っ子は高校生。

全身真っ白な制服で通っていた。

 

彼女の一番小さな弟は8歳だった。

こんな小さくてお父さんを亡くして

本当に気の毒に思った。

 

彼らのお父さんは53歳だった。

 

悲しみの渦の中の夫と家族の再会は

辛かったけれど、愛溢れる関係の家族は

本当に温かかった。

 

あの頃は今は亡き大黒柱の義姉(次女)がいて

義弟もまだ結婚しておらず

家族みんなが優しさのオーラで繋がっていて

なんて思いやりに溢れた家族関係なんだろうと驚いた。

 

 




 

義母は、あの頃は料理をしていた。

でも、今は亡き義姉も(イタリア在住の義姉の妹)

かなりのお料理上手だったので

彼女が先頭切ってチャキチャキとお料理をしてくれていた。

 

 

このフランス語ペラペラの義姉は

テレビのお料理番組に招待出演したこともあるくらい

センスが良くてお料理が上手だった。

 

 

彼女のお料理も美味しかったけれど

義母のお料理は素材の味を最大限に引き出す調理法で

何よりも驚いたのはお肉なしの野菜タジンの美味しさだった。

 

 

イタリアの義姉は油ドボドボ、

油の美味しさで食べさせるワイルドなお料理だったけれど

義母のタジンは油は最小限で

それでも十分美味しかった。

 

 

義母はアルジェリア出身のベルベル人で

ベルベル語も話せる。

 

彼女の両親は富豪でお金には全く困っていなかったけれど

子供は産まれては亡くなり

次に産まれては亡くなって育たないので

最後に産まれた義母は、学校にも送らず家で勉強し

今度こそ命を落とさないように、と箱入り娘として育った。

 

 

洋裁も上手で

夫が小さい頃の写真には

義母の手作りのブレザーと半ズボンで写っているラブ

 

 

彼女の晩年を私は一緒に過ごした。

義姉も義弟も亡くなり

人口密度が減ってしまった寂しい実家で

私と子供達が毎年夏に訪れると大層喜んでくれた。

 

 

その頃は、キッチンに行くのも億劫になった義母は

トマトとパプリカのサラダを

自分の寝室のテーブルに持ってこさせて

パプリカの丸焼きの皮を剥いて細く切って

トマトと玉ねぎとマリネしていた。

 

 

それを冷たく冷やして頂くのが彼女のお気に入り。

毎昼食にコレが無いと始まらなかった。

 

 

私が義母が調理しているのを見ていたのは、この一品だけだ。

 

まだ義母がスタスタ歩いていた頃には

私はお客様のように座らされて

キッチンに入ったことなどなかった。

 

 

だから義母がタジンを作っている姿も

クスクスを作っている姿も見たことがないし

お茶を用意している姿も、ほぼ記憶に無い。

 

 

それなのに、夫曰く

私が作るモロッコ料理は

義母が作るそれと酷似しているのだという。

 

私が淹れるミントティーは

夫がいくら頑張っても

その味が出せないのだと言う。

 

 

料理する時だけ

義母に乗り移られることってあるのかな??びっくり

 

 

そうでもなくちゃ

この話、おかしくない真顔??

 

 

ちなみに唯一、毎日横目で見ていた

トマトとパプリカのサラダは

イタリアでは作ったことがない。

 

面倒くさいのと、

毎日食べる程パプリカが安くないからだ。

 

 

それに関して天国からお叱り頂いたこともないので

それほどの執着はないっぽいウインク

生きているうちに食べ尽くしたから満足しているのかも乙女のトキメキ