自分の身体の一部を失うこと。 | イタリアでモロッコごはん

イタリアでモロッコごはん

イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

義姉は左脚切断手術を終え、リハビリ施設へと移動しました。

 

最初に手術を予定していた朝に

この本を読んだ時は本当に衝撃的でしたが
やはり義姉も切断を終えた後、ハムドゥッリッラーと言っていました。

 
 
 
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義姉の左脚の膝から下にかけては

手術の3日前から何の感覚も無くなり

ただ石のように重いだけで

「私の足は死んでしまった。」と言っていました。

 

 

膝下の大部分が壊疽で真っ黒で

見るも無残な有様でしたので

こうして感覚も無くなり諦めもついたところで

切断手術に踏み切れて良かったと思います。

 

 

 

しかし やはり

体の一部が切り離されるという事実は

本人にも、周りの人間にも

視覚的にも精神的にもかなりショックが大きく

術後のお見舞いは、みんな言葉も無く泣き続けました。

 

 

 

 
普通糖尿病の場合、足の指に壊疽が起こりますが
義姉の場合、長年の喫煙も祟って
両足膝下の広範囲、特に左脚は酷い壊疽に襲われました。


最初は赤い斑点が出始めたのですが
ものの1か月程で壊疽にまで発展したので
本人も周りの人間も驚くばかり。
義姉は痛みにもがき苦しんでおりました。
 
 
 
壊疽から敗血症になり
昏睡状態になり入院した義姉。
 
最初は切断などせずに、そのまま死にたいと言っておりましたが
今は切断してもう少し長生き出来ることが嬉しいようです。
 
 
 
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先日私は友人達とランチを食べて帰ってくると
フィレンツェ駅の裏が酷い渋滞で車が動きませんでした。
問題の地点に差し掛かるとバイクと車の交通事故のようでした。
 
 
翌日友人が、あの渋滞の原因だった交通事故で
フィレンツェの有名なトラットリア、ソスタンツァのオーナーが
その事故で亡くなったと教えてくれました。
 
 
それを聞いて、私はそんな不意な事故死を迎えることに
今までにない恐怖を抱きました。
 
一瞬で、大切な誰かに最後の言葉を伝えることもなく迎える死。
まさか当の本人でさえ死ぬなんて予想もしていなかった突然の死。

きっと沢山の観光客の方がこちらのトラットリアで
ビステッカを堪能されたことと思います。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 
 
 
 
こんな虚しい死に比べたら
義姉は脚を失ったけれど
命を失うかもしれなかった昏睡状態を乗り越えて
いつもお見舞い客にわんさか囲まれて
幸せだなぁと思います。

 
 
我が家で療養中も宴会状態でしたが
入院先の病室も、義姉のベッドの周りだけ宴会状態で
あまりに見舞い客で溢れているので
他の患者さんや家族に迷惑がかかからないよう、看護師から注意を受ける程でした。
 
 
 
今までベッドでずっと寝ていたのに
リハビリ施設に移されてからは
車椅子で一人で行動できるように
朝はベッドから叩き起こされて、
スパルタに車椅子に乗せられているそうです。
 
 
 
我が家にも保健所から支給された車椅子と
褥瘡防止マットレス付きのリクライニングベッドが届きました。
 
 
リハビリ施設には同じく脚を切断した人や
義姉よりもっと酷い状態の患者さんを沢山見かけます。
そんな中で少し元気を取り戻して
車椅子で動けるようになって退院して
寒い冬が来る前の秋のフィレンツェを堪能してほしいです。