「つくしさま、でいらっしゃいますか」
突然声をかけて来た、いかにも武闘派ですという体躯を覆っているそのスーツがその辺で売ってるようなものではなく、有名ブランドかオーダーメイドのものだろうということは、F4を間近で見てそれなりに目の肥えたつくしにはすぐに分かった。
ついでに、あきらが伝授したように、特殊で物騒なものをそのスーツの下に隠してはいないだろうということも。
だが、なぜ『さま』付きで呼ばれなければいけないのかが分からない。
こんなことは、司と付き合っている時には当然のようにあったけれど、そこで名前を呼ばれるのはいつも司の方であり、つくしはむしろその存在さえも無視されていたような感じであったのだ。
だから、
「まきのさま、お待ち申し上げておりました」
そんなふうに、まるで三角定規か分度器できっちり測ったような角度で頭を下げられても、戸惑うことしか出来なかったのは仕方がないことだろう。
つくしが忽然と姿を消してから、そろそろ3ヶ月。
F4が高校を卒業し、司はNYへと行ったが他の3人はそのまま大学へとすすんだ。
その頃からつくしも卒業後のことを考えはじめ、さほど考える間もなく就職もしくは目指すにしても国立か夜間のみ、英徳の大学は高すぎてとんでもないと言いきったが、F4がそれを許すはずもなく、成績如何によっては返済不要の奨学金制度があると言葉巧みにつくしをその気にさせ、学費を類・総二郎・あきらの3人で負担することにした。
外部受験生の入試を受けさせ、その結果きちんと入学出来る成績だったために大学側も異論なく受け入れることになった。
当然、入学してからの学力はつくし次第となるが、高校入試で、振り落とすためとも言われている外部用入試試験をクリアした時点で、F4ほどではなくともそれなりに特別な教育を幼少の頃から受けている英徳の生徒たちに比肩するほどの成績であったことは証明されており、頑張るとか努力するとかそういう美徳に恵まれているつくしだから、あとはF3がからかいついでに勉強を見てやれば危なげなく上位を維持出来るだろう。
ただ、つくし本人にはもちろんだが、司にも学費の負担のことは言わなかったし、学校側にもたとえ道明寺であっても他言無用と念を押した。
言えば司のことだから全額負担も厭わないだろうが、ある意味単純で裏のない司がそれをつくしにバレないようにすることも難しいし、たとえ表面的には付き合いを黙認しているとはいえ、母である道明寺楓がいい顔をしないことは分かりきっていたからだ。
そしてつくしが大学に入って半年ほど経った、夏休み明けの試験が終わって学生たちにほっとした雰囲気が流れる頃に、ふたりは決別した。
原因はやはり、距離だろう。
1万キロの距離は半日ほどの時差を作り、生活時間帯を正反対に変えてしまう。
つくしは学校・バイト・睡眠の間は『待機電力だってバカにならない』と、通話やメールの確認をする時間がある時にしか携帯電話の電源を入れないし、それもその存在すら思い出さずに充電し忘れていたりすることさえもしょっちゅうで、だからとにかく朝起きた時とバイトが終わった時の最低2回、出来れば寝る前にもう1回くらいは着信をチェックしてくれと類が頼み込んだほどだ。
それならばとりあえず起床から登校するまでとバイトから夜就寝するまでの数時間はなんとか連絡可能な状態になるからで。
それ以外はと総二郎が問うた時には『牧野の取ってる授業とバイトのスケジュールは知ってるから』などと類はしらっと答えたものだが。
また、司はと言えば文字通り、不眠不休で仕事に打ち込んでいた。
NYへ行ってすぐの頃は、わずかな休息時間を見つけてはつくしに連絡をしようとしていたが、そもそもつくしが同じ地域に住んでいるものでさえ捕まえられないような状態であるから、更に時差もある場所からなどまともに繋がることなどほぼ皆無、さらに司自身がNY以外のところへも頻繁に行くようになり、その場所によって自分と相手の通信可能な時間を計算するのが面倒になったことも一因だろうが、それだけの問題ではなくなっていた。
はじめこそ留守電サービスにメッセージを残したものの、おそらく司がいつ話せる状態なのか分からないつくしとしては邪魔をしてはいけないと思っているのだろう、折り返し連絡が来ることはなく。
仕事はきついが、反面司は自分に歯向かってくるものには良くも悪くも興味を抱いて負かしてやろうという気になるようで、思うようにいかない業績がその対象となった時、楓ですら驚くほどののめり込み方をしたのだ。
つくしと会えず、会話もなく、連絡すらもしなくなれば、実際に広がる陸海よりも心の距離の方が離れてしまうことは仕方のないことだった。
だから、夏休みも与えられた課題やレポート、そして学費はともかく生活費は稼がなくてはいけないからと相変わらずバイトを詰め込んでいたつくしは、司がどれほどNYへ会いに来いと言っても断り続け、結局は司が『もういい、勝手にしろ』と放棄した。
F3からすれば、短気な司がそれでも我慢した方だとは思うし、司はこの時はまだ恋人である関係まで手放したつもりはなかったらしいが、つくしはそれを別れの言葉として受け取ってしまったのだ。
その時には『分かった、勝手にする』との一言だけで、だが後日、日本の道明寺邸にいたタマに司から預かっていた携帯電話とプレゼントしてもらったネックレスを返してくれと渡し、タマはなんとか引き止めようとしたがつくしは『終わったことですから』と言い切り、それでもタマと、そして司にも『こんな結果になったけど、楽しかったしいい経験もさせてもらった。忙しいだろうけど身体を壊さないように気をつけてね』とありがとうの言葉を託したという。
それをタマから受け取ってはじめて司は取り返しのつかない言葉を吐いてしまったのだと気付いたが、結局その後も日本に会いに来る時間はおろか、つくしと話せるだろう時間帯に連絡を入れることすらままならず、修復は不可能となってしまったのだ。
その裏には、必要以上に司を激務に追い込んだ楓の陰謀もあるのではないかとF3などは疑っていたが、それでも仕事にやり甲斐を感じてしまった司自身の所為だろう。
その後も変わりのない日々が続いていたが、空気に冷たさが混じりはじめた頃に突然、つくしがいなくなった。
携帯が繋がらないのはいつものこと、同じ大学のキャンパス内でも取る講義が違えばそうそう会えるものではないし、司同様、類とあきらも大学に入ると同時に事業に少しずつ参加するようになっていたし、総二郎も家元代理の仕事を始めていたから、毎日登校していたわけでもなく。
ただし、類だけはちゃんとつくしが携帯の電源を入れてくれるよう約束して以来、朝はともかく、夜は寝る前にメッセージを入れていた。
律儀なつくしは、気付いた時にちゃんと返事をくれるが、間に合えば夜だし、朝起きてから気付いてくれる時には類がまだベッドの上で安眠を貪っていたりするので微妙にやりとりがズレることもある。
それでも最低1日1回、どちらかからはメールの送受信があるはずなのに、最後に類が送って以来、返信もなくすでに2日経っていた。
大学でも見つけた非常階段は変わらずふたりのくつろぎの場となっているのに、そこにもつくしは姿を現さず、休講になったとか臨時のバイトが入ったとかなども聞いていない。
「牧野は?」
念のため相変わらずF4専用スペースで寛いでいた総二郎とあきらに訊ねてみても、
「類が知らねえのに俺らが分かるわけねえだろ」
と返ってくる始末。
司との関係がとりあえず終わっている今、道明寺の介入はないはずで。
ならば少々遅くなる時間であっても確実に会えるだろうと訪ねたつくしのアパートを見て、類は不安が現実になったことを知ったのである。
漁村から戻り家族で暮らしていたアパートは、類たちからすれば自分たちの部屋ひとつよりも狭いほどで、そこで大人4人が暮らしているとは信じられないほどだった。
最近は弟の進もつくしの背を追い越し、しっかりとした男性の体格になってきていたし、両親とも貧乏暮らしを強いられているはずだが、実際に抱き締めたことのある類は知っているが、手を腰に当てて仁王立ちするイメージからは想像出来ないほどに華奢なつくしからは考えられないような、ふくよかな体型をしている。
だから、類としてもはじめは自分の部屋よりも狭い空間につくし以外はそれなりの体積のある家族4人が暮らしているなど信じられなかったが、それでもまあ、都合をつけてはふらりと寄っていたせいでいつの間にかその空間にも馴染み、小さな卓袱台の周りでお互いの膝が当たるほどにくっついて座り、それぞれの背中はタンスや壁などに擦るほどではあったけれど、その近さが家族の団らんというものを知らない類にあたたかさを与えてくれるようで気に入っていたのだ。
けれど、今目の前の空間は潔いほどに空っぽで、馴染んだ風景は何もない。
だが、襖に残る、なんだか変な動物の形に似た染みだけが唯一、ここが類の記憶にある部屋だと教えてくれていた。