처음(初めて) 18 | 気ままに吐露トロ

気ままに吐露トロ

あれこれ好きなことを、覚え書き。

出会った頃には感情が読めなかった彫刻のような容貌が、ソヒョンを追ってフランスへ旅立つ空港で見て以来、いつの間にか優しくなったとジャンディは思い出していた。
余計なおせっかいだと怒られ、それでも誰よりも幸せになってほしかったから、出立間際にありがとうと額にキスをしてくれて嬉しかったのだ。
そしてそこで初恋は終わったはずで、ジュンピョの恋人宣言とジフの突然の帰国とで自分の気持ちすら落ち着かないでいるうちに、いつの間にか付き合っているのはジュンピョだということになってしまっていて。
それでも一時期はF4決裂の危機になってまでジフはいつでもジャンディを守ってくれたし、それ以降も今までずっと、そしてもしかしたらこれからもずっと、そうしてくれようとしている。
「でも私、ずっと先輩に甘えて頼り切ってて」
だから、カウルにだけはもらした正直な気持ちをきちんとジフにも言おうと思ったのだ。
「ジュンピョといた時も、ジュンピョのお母さんのことも、ジュンピョがいなくなった時も、いつもジフ先輩がいてくれたから私、頑張れたんだって気付いちゃって」
ジャンディとの未来のために、ひとりで会社を建て直そうと頑張っているジュンピョが好きだと思い込もうとしていたことも。
「高校の時は、突然だったし、全然連絡もなくって、だから会いたくって寂しかったんだと思ってた」
今回は、お互いが納得してのことで、それぞれにやらなくてはいけないことをそれぞれの場所でやるからだと、別れるのではなく、離れることを選んだはず。
「だから、勉強も大変だし、忙しくて寂しいなんて思う暇がないって、そう思ってて」
でもそれは、無意識のうちに変わってきている自分の気持ちに蓋をしていたのだと、気付いてしまった。
「なのに、先輩が卒業していなくなっちゃうって思ったら、これからどうすればいいんだろうって不安になっちゃって」
どんな苦境に追い込まれても、相手に甘えず自分で乗り越えるんだと、それだけが何も持たない庶民のジャンディの唯一のプライドでもあったのに、知らずジフに頼り切っていた自分が情けなくなってしまったのだ。
「ジフ先輩がいないとダメになっちゃうようなのはよくないって思って、だからひとりで頑張らなきゃって、それで…」
俯くジャンディに、
「俺はジャンディに甘えてほしいし頼ってもらいたいと思ってる」
甘く囁くように告げた。
「ジャンディが、俺がいないとダメっていうくらいぐずぐずに甘やかしたい」
両足の間にジャンディを入れ、両腕でその細い腰を抱え込む。
「本当は、どこかに閉じ込めて、俺だけしか見ないように、隠したい」
「え、あの」
「でもそれじゃあ一生懸命がんばってるジャンディの笑顔は見られないから」
額をジャンディの薄く小さな肩に乗せ、拘束を強くして逃げられないように囲う。
「ジャンディがまだ、ジュンピョを好きなことも分かってる。嫌いになったわけじゃなく、進みたい道が違ってしまっただけだからって」
本当は、ちゃんと目を見て告げたい言葉だけれど。
「でもいつか、ジュンピョを親友として見ることが出来て、俺のことを男として好きになってくれたら」
どうしても最後の自信が持てなくて、ジフはそのまま続けた。
「俺と、付き合ってほしい」
真っ直ぐなジフの想いは、どんな時もジャンディの心に真っ直ぐに届く。
「もちろん、もしジャンディが他の誰かを好きになってしまっても、俺を見てくれるようにするけどね」
少しだけ腕をゆるめて、鼻先が触れそうなほど近くでにこりと笑う。
「ジュンピョだったから諦めたし、始めようともしなかったって言ったことあるけど」
ジフの声がほとんど吐息のように低く、囁くようにひそめられる。
「もう、相手がジュンピョでも他の誰でも、諦めないし、手放さないから」
「先輩…」
言葉を詰まらせるジャンディを、ジフはふと立ち上がって、もう一度抱き寄せた。
いつもそうしていたように、右腕でジャンディの身体を、左手で小さな頭を引き寄せて、自分の右肩にもたれかからせる。
「院に残るよ」
「え」
突然の話題の切り替えに驚いたジャンディが身体を離そうとするのを、しっかりと抱きしめて引き止める。
泣いているジャンディを何度もこうして抱きしめたけれど、あの時の心臓を鷲掴みにされるような痛みは、今はない。
「韓方や民医学も興味があるし、経営の方もやり直したいし」
もともと経営学部に在籍していたのを、ジャンディが医学部に合格したのを機に移籍しているから、中途半端ではあったことは事実であるし、祖父の事業を引き継いでゆくのならばきちんとやり直した方がいいことも当然で。
「おじいさんが体調を崩した時に短期間だけど代行して、想像していたよりもずっと大変だって分かったから」
もうしばらくは一緒に通えるよ、という代わりに、細い肩をポンポンと叩く。
「ひとりで頑張らないで。いつだってそばにいて、手伝うから」
もう何度目かの言葉に、
「…ありがとう、ございます…」
ジャンディの小さな声がジフの肩に吸い込まれた。

「知ってました?」
しばらくして、ジフの肩から顔を上げたジャンディがそう訊いた。
「なに?」
「いつも先輩がハンカチとか指で涙を拭いてくれるから、いつもこうやって抱きしめて肩を貸してくれるから、目も心もだらしなくなっちゃったんですよ」
「…俺のせい?」
「ふふ」
小さく笑うジャンディに、ジフの瞳がわずかに細められる。
「先輩のせいです。いつだって先輩がいないと笑えないし、泣くことも出来なくなっちゃったんです」
「ジャンディ?」
話の方向が見えず、ジフが怪訝そうな表情をしたのを見、ジャンディは今度はにっこりときれいに笑ってみせた。
「ジフ先輩が、好きです」
「ジャン…」
「先輩は私の初恋の人で、先輩といるとぼーっと出来て心が休まるっていうか、無理したり頑張ったりしなくてもよくて」
「自然体、でいられた?」
ジャンディの親友がそう言っていたとイジョンから聞いていたから、言葉を引き継いでみたらこっくりと頷いた。
出会った頃からずっと、いつでも忙しくて、大変な思いばかりしていたジャンディ。
そのジャンディが、自分といる時にだけは休めていたということが、何よりもジフの心を救った。
「あんまりにもそれが普通で、だからやっぱり好きなんだって気付くのに時間がかかっちゃいました」
ごめんなさい、とふんわりと染まったジャンディの白い頬がきれいで、ジフが指先をのばそうとしたその瞬間にジャンディはそれをジフの肩にもう一度埋めた。
「大好き」
囁くようなその言葉と、ジフがぎゅっと両腕に力をこめたのと、どちらが先だったか。
「…これ以上ない、お祝いのプレゼントだ」
掠れるジフの声に、あ、とジャンディが顔を上げた。
「なに」
「そういえば、よく考えてみたら私、ジュンピョにもちゃんと言ったことなかったかも」
「え」
逃げないとか向き合うとか、そんなことはジュンピョにもジュンピョの母親にも言ったことはあるが、ちゃんと好きだと言葉にしたことはなかった。
告げようとした時にはもうジュンピョはいなくなってしまっていたから。
けれどそんなふうに言うジャンディが、それでも表情はすっきりとしているから、ジフも過度な心配は不要だと分かって。
「そう」
短く一言だけを返したら、ジャンディははははとちょっと照れたように笑って、
「だからこれも、先輩が初めて、です」
にっこりと笑った。
その笑顔が、差し込む陽光よりも眩しくて、
「俺も、こんなに嬉しいお祝いは初めてだ」
そっと薄紅色の唇にジフは自分のそれを触れ合わせた。
初めてのキスは、傷心の痛みで凍えていた心をあたためてもらった。
二度目のキスは、心ごと優しく包み込むように抱きしめてもらった。
「ジャンディ」
「…は、い?」
どこか夢見心地なジャンディに幸せを感じながら、ジフはそっと声をかけた。
「ジャンディは俺のもの、って思ってもいいんだよね?」
やわらかな空気を壊したくはないけれど、ジフとしては念を入れて確認をしておきたいことでもあるのだ。
「あ」
「…違うの?」
「え、そうじゃなくって。でもあの、先輩のお祝いなのに、私なんかでいいのかなって」
ここまできてもやっぱりなジャンディに、ジフはふんわりと微笑んだ。
「じゃあ、もうひとつだけ、いい?」
「はい?」
「ジャンディ本人とジャンディの荷物を、ここに戻してほしい」
「え?」
黒目がちの瞳を見開くジャンディに、ジフは笑みを絶やさずに続ける。
「俺もしばらくは勉強が続くから、また一緒にしよう?」
「でも」
「自分のものは手元に置いておきたいし」
「ええと」
「俺のカワウソは可愛いけど鈍感だから、美味しい餌に釣られて誘拐されそうだし」
「もう、なんですか、それ!」
怒ったフリで軽くジフの二の腕を叩くジャンディを両腕ごと包んで、もう一度キスをする。
「もう離したくないってこと」
触れるだけのものから、小さく啄むように。
あれこれ言いたそうなジャンディの唇が、音を成す前に甘噛みする。
出てくるのが浅い吐息だけになるまで、ジフは何度も角度を変えながら重ね続けた。

「おおジャンディ、来とったのか」
突然の声にびくりと固まったのはジャンディのみ。
「おはようございます、おじいさん」
ジフはジャンディを離さないまま、平然と挨拶を返している。
「おじいさん、ジャンディがここに来てくれることになりました」
恥ずかしくて顔をあげられないジャンディを胸に抱いたまま、ジフはあいさつの続きのようにさらりと告げる。
「せ、せんぱ…!」
「今度は年頃の男女が二人きりで、閉め切った部屋でいいぞ、はっはっは」
焦って暴れるジャンディをにっこりと押さえつけるジフに、さらにソギョンが追い討ちをかける。
「おじいさん!」
唯一自由になる首を思いっきり反らしてソギョンに向かうも、ふたりともジャンディの慌て具合などそよ風ほどにも気に留めずににっこりと笑いあっている。
「そうそう、それからジャンディ、もう二度と逃げ出そうなんて思うなよ?」
ジフとジャンディに向けてソギョンが片目を瞑ってみせた。
「あ…」
一度目は、さんざん助けてもらって世話になっておきながら、ジャンディひとりを潰すためにカン会長によりスアン文化財団を危機に陥れられたと知って、簡単な手紙1枚だけ残して離れた。
二度目は受験のために便宜を図ってもらったのを、大学進学とともにこれ以上迷惑をかけてはと辞した。
どちらの時も、ジフはもちろんソギョンにも、置いていかれる身にもなってみろと何度も言われたものだ。
「大喰らいのジャンディがいるなら、朝食は多めにしなければならんな」
飄々と言いおいて行くソギョンの背中を見ながら、ジャンディはくすんと照れ笑いをひとつもらした。
「今日にでも引っ越しておいで。どうせ荷物は少ないだろ?」
ジャンディの前髪をくしゃりと撫でてジフが言う。
「…お世話になります」
ぺこりと頭だけを下げたジャンディに、
「じゃあ、契約成立」
少しだけ深いキスをしたのだった。