처음(初めて) 05 | 気ままに吐露トロ

気ままに吐露トロ

あれこれ好きなことを、覚え書き。

あの時、ひと騒動あったスキー旅行から、『庶民のデートだ』なんて楽しみにしていたのを遮るようにジュンピョの父親が倒れ、拉致されるように中国へ発つジュンピョを追いかけジャンディを空港に送ろうとしたけれど間に合わず、飛び立つ飛行機を見送りながらジャンディは泣いていた。
その時初めて、ジフは涙を流すジャンディを、愛しい人、そしてどんなことからも守るべき人として抱きしめたのだ。
もともとニューカレドニアの一件で対戦したときから、どんな手を使ってでもジャンディの笑顔を守りたいと思っていたのは、ソヒョンへの思いが単なる憧れに過ぎないと分かったからでもあったが、何よりも任せるべきジュンピョの態度に納得出来ないものを感じたからでもあった。
それでも、不器用ながらもジュンピョの真剣さは見ていても分かったし、なによりジャンディが幸せならと、友人として一番近い場所にいることで我慢していたけれど、ジャンディとは違う意味のもどかしさがどうしても付きまとっていたのだ。
だから、消化し切れない思いがある事ごとに泳ぐジャンディの側で見守り、時にジュンピョとの仲を取り持つこともした。
ジュンピョからは拉致されるように旅立つ際のメール以来一言の連絡もない中、以前カン会長の差し金でモデル男に拉致され、脅され痛めつけられたジュンピョを庇った時に受けた衝撃で水泳が出来なくなり、何をしたらいいのか分からないとプールサイドで泣いた時も、新しい道を一緒に探そうと、以前自分がそうしてもらえたように手助けするからと、こぼれる涙を掬った。
マカオででも、帰国してからも、ジュンピョが現状を把握せずに態度をころころと変えてジャンディにまとわりつく所為で続くカン会長からの攻撃に、どれほど傷ついていたかなど、ジュンピョが知るはずもない。
赤札から始まった高校の3バカガールズをはじめとする嫌がらせでは、どれほど心身共に傷つきながらも、真っ向から立ち向かえていたジャンディなのに。
ジフからすれば状況を把握せず能天気なまでにジャンディだけを思うジュンピョが、正直羨ましくもあり、同時にジャンディの辛さを分かろうとしないことに苛立ちも覚えていたのだ。
自分ならそんな思いはさせないのに、と考えていることに気付いて愕然としたのはいつだったか。

「いつかの真実ゲームで、愛する人が自分の所為で苦しんでいても手放せないと言い切ったけど」
わずかに目を細めたジフは、いつもの寡黙さが信じられないほど、辛辣に言葉を続けた。
「その宣言の通り、いつまでもジュンピョがジャンディに付きまとうから、ジャンディはずっと苦しんで、いつだって泣き顔しか見せなくなった。出会った頃、貼られた赤札に対してさえ負けないで、首謀者であるジュンピョに啖呵を切ってまわし飛び蹴りまでして見せたあのころの純粋なまでの喜怒哀楽がなくなった。それって本当に愛しているって言える?愛している人の笑顔を、見たいと、守りたいと、思わない?」
それは確かに、イジョンやウビンも思っていたことだった。
いつだって自分のことよりも、大切に想う人のために頑張り、苦労し、それでも明るく笑っていたジャンディが、予想せぬ攻撃に無理ばかりして、取り繕ったような笑みしか見せなくなったのはいつからだったのか。
「だから、たとえジャンディがジュンピョと一緒になるって言っても、俺は反対」
普段、無口で思慮深いジフの言葉であるが故に、発せられる一言一言が重さを持つ。
「あの婚約者との結婚式の時にはまだ、ジュンピョと一緒にいた方がいいのかと手助けをしようと思っていたけど、今はそうじゃないって分かるから」
ジフは端から見れば自己完結型であり、ぼーっとしているようでいて、けれど誰よりも早く状況を的確に捉え、その先を見通し、故に自分に関係がないと分かればそれ以上の労力は無駄だと言わんばかりに昼寝をする。
けれど、本人の中で一番優先すべきことに対しては誰よりも真摯で、戦うことも辞さない。
ぼんやりしているように見えて、けれど決して大切なところで判断を間違うことのない、誰よりも『漢』なのだ。
「反対って、それはおめーの意見だろ、当人同士は…」
だからバックグラウンドや容姿、そういった外付けの価値によってのみ立つ自信を否定されてしまえばジュンピョにはプライド以外に残るものはなく、動揺はジャンディに助けを求める方へ向かった。
ジャンディさえ同意してくれれば、ジフをはじめ誰が反対をしようとも関係がないはずなのだから。
そんなジュンピョの思いをどう受け止めたのか、ジャンディはその視線を受けてにっこりと笑ってみせた。

「終わってたんだよ、私たち。マカオの、あの時で」
ふふ、と笑うジャンディに、F4全員の形のないどこかが痛む。
「あの橋の上で言われたことは、本当に辛かった。ちゃんと、どんな言葉であってもク・ジュンピョから直接聞いて受け止めるつもりだったくせに、なのに、聞いたら何のためにここまで来たんだろうって、こんな言葉を聞くためじゃなかったって、哀しかった。今なら、あれは本心じゃなくて、きっとあのお母さんに条件とかを付けられてああいう態度を取ったんだろうなって、ちゃんと分かるんだけど」
ジフが作ってくれた、早朝の逢瀬の機会。
待っていろと言ってくれた恋人としての甘い言葉を期待していたことは、確かだ。
けれど、それ以前の態度から、ある程度の予測は出来て。
それでもせめて、
『元気?』
『元気だよ』
そんな言葉だけでも交わせればよかった、はずだった。
…のに。
「あの時も、それ以外でも、いつでも私を助けてくれたのは、ジフ先輩だった」
思えば、神話に来て始めての日、プールを探して彷徨っていた時に助けてくれたのも。
理由が分からないままに、それでもクラスメイトのイジメに屈するものかと叫んでいた時も。
…その延長で、襲われそうになっていた時も。
どんな理由にせよ、F4の赤札を貼られ、あのとき自殺を試みた生徒の気持ちがわかると覚悟を決めた時に表れたのが、こともあろうか、ジュンピョだった。
あの時は確かに、誰であっても助けてくれるならばと思ったけれど、原因である張本人が名乗り出てくれるなんて、想像の範囲を超えていて。
済し崩し的にジュンピョの彼女だと公言された、そのタイミングで現れたジフの真意は、意図していたのかどうかは本人が黙秘を続ける以上、不明なままだけれど。

ともあれ、無理矢理の別れの時に『すぐ帰る。おとなしく待ってろ』と送ったメール。
それを反古にしたのは、多分に母親の影響はあれど、ジュンピョ本人だ。
その後も、神話大に戻ってきはしたものの、婚約者だのなんだのとドタバタし、ジャンディもなるべく避けるようにしていたからきちんと向き合う機会を持つことはしばらくなくてうやむやになった。
「でも、おかげで新しくやりたいこと、見つけられたし。それには、ク・ジュンピョも水泳も神話グループも関係なく、どんな結果になってもそれが自分の実力だって向き合うことが出来るから」
出来る限りやってみたいのだとにっこりと笑うその顔に、これまでのような陰はない。
「あんたのことは今でも大好きだし、これからもたくさんケンカもして、いっぱい笑いあえたらいいなって思う。でも」
「でも、何だよ」
ジュンピョを真っ直ぐに見るジャンディの視線は、揺るがない。
「あんたのお母さんっていう最大の障害がなくなった今でも、私はあんたと一緒には行けない」
「…んでだよ」
「だってさ、考えてもみてよ。私が、あんたのお母さんと同じことするの?」
「イジメとかか?」
「そうじゃなくて」
あまりにもらしいジュンピョの言葉に、笑ってしまったジャンディが、手をひらひらと振って違うんだと示した。
「例えば、神話のために、なりふり構わず、誰かを傷付けてでもそのためだけに生きるっていうこと」
それが当然だと、疑問に思うことさえなかったジュンピョに、その問いは難しすぎた。

「私は、医者になりたいの」
「…知ってる」
「本当に?」
ジャンディの笑みは変わらない。
けれど、ジュンピョの表情がなくなっていくのは、動画をコマ送りで見ているように明らかだった。
「神話グループのトップの配偶者が、二浪したペーペーの新米医者ですってのは、おかしいでしょ?」
「それはっ…」
「もちろん神話にも医療関連はあるだろうけど、あんたの相手っていうだけで変にちやほやされて、本当にやりたいこともさせてもらえず、なのに受ける嫉妬だけは人一倍なんだろうね」
ジャンディは笑顔のまま続ける。
「それ、私がやりたいことと、違うんだ」
ただでさえお金持ちが通う高校に突然入ってきた貧乏人の異端児と蔑まれ、さらに赤札を貼られた時の辛辣なイジメを真っ向から受け止め、逆にジュンピョから交際宣言がなされた時以降、その受ける態度の違いをジャンディは忘れることはない。
それは無邪気な学生だったからこそ目に見えて悪化していたが、社会人になれば逆に陰湿なものになるだろうし、それを思えば気が重くなるけれど。
だが、今のジャンディにとって問題なのは何よりもまず、ジュンピョの所為でもジャンディの所為でもなく、ただ、お互いにやりたいことが重ならないことなのだ。
「だからね、あんたのプロポーズには『異議あり』なの」
そう言った、自分の言葉に現状を思い出したのだろう。
「こんなに時間をかけなくても、とっくに道が別れてたこと、分かってたのにね」
もっと早くに言ってればよかった、ずっと頑張ってくれたのにごめんね、とふと見せた、ジャンディらしくない、憂いを含んだ笑顔は、彼女がとうにその事実に気付いていたことを証明していた。

切欠は、どう考えても、ジュンピョの父親が倒れたことだった。
たとえ父親が危篤であり、その代理として神話グループの将来を担うためだったとしても、それでも母親の思惑に沿ってジャンディを突き放し、ひどい言葉で傷付けたのは、ジュンピョの意思。
スキー場で遭難しかけた時に交わした『弁当を持ってピクニックをする』という他愛なくも真摯な約束を反古にし、一言の謝罪すらないままに半年もの間連絡を取らず、さらに意を決して逢いに来たジャンディを故意に無視し、ジフにお膳立てされた早朝の逢瀬でも追い討ちをかけるように心ない言葉を投げつけてジャンディを泣かせたのは、紛れもなくジュンピョ自身。
分かっていてなお、それでもジャンディは自分から離れないと思い込んでいたのは、幼少の頃から欲すれば手に入らないものなど何もなかったジュンピョの甘さだったのだろう。
ジャンディが神話高に転入して来て以来、世の中には自分の思い通りにならないものがあると何度も教えられてきたはずなのに、それでもはじめは嫌悪感ばかりだったのにいつからか好意を持ってくれていたから、大切な教訓を忘れてしまっていた。
「だからさ、約束通り頑張ってたあんたには申し訳ないけど、あたしは一緒に行けないよ」
うすうす予想はしていた言葉に、けれどジュンピョの体が強張った。
それを分かっているのかいないのか、ジャンディは言葉を続ける。
「確かにね、あんたとの未来を、想像したこともあるよ」
そう言ってふふ、と笑うジャンディに、いつもの快活さがないことは明白だ。
「でもどこか、歪だった」
我慢とか、妥協とか、どこかで自分らしさを捨てなくてはいけないような関係は、長続きしない。
「ジェットコースターに、ずっと乗ってるワケにもいかないしね」
そう言い切って、ジャンディはどこか吹っ切れたように、高校の時のような明るい笑顔を見せた。