春ですね!

というか、初夏の陽気。

犬達をカートに乗せて、

たくさん歩くことがわかっていたので、

絶対に暑くなる!

そう思って薄着で出かけたのですが、

正解でした。



ライトとタルは、

ちょっと暑いくらいだったんじゃないかと思うほど。



今日は娘の大学の卒業式でした。

保護者立ち入り禁止でしたので、

それなら、ライトとタルを連れて

写真だけでも一緒に撮ろうと

みんなで出かけてきました。






タルは、

みんなが綺麗な着物を着てるので、

自分にはないんだけど!

と怒ったかと思えば、

ねぇねと友達がお話ししてる間に

『じょちかい!?(女子会!?)』

とノリノリで割り込んでました。





一方ライトは、

可愛いねぇねを見れてご機嫌。

その上、神社もいくつか行ったので、

それも嬉しかったらしく。

終始ご機嫌でした。






無事大学を卒業して、

来月からは社会人。

この子には将門さんが付いててくれるから、

ものすっごいく心強いです。

親としては、

将門さんに感謝感謝!

今日も築土神社と神田明神に行き、

お礼を伝えてきました。



靖国神社から神田明神まで歩き…

ひたすら歩いてヘロヘロなので、

今日の話はまた明日以降に書きますね。





今週は熊本と石川で

最大震度4の地震がありました。

インドネシアのレウォトビ火山でも

昨年に続き大規模な噴火があり、

アメリカでも竜巻が起こり

亡くなった方もいらっしゃるとか。



山火事がいたるところで発生したり、

まだ3月なのに、

今年ももうたくさん災害が起こっています。



いつ大きな災害が起こるかわからない。

南海トラフ地震の心配もありますし、

富士山だって噴火しないとは限らない。

今のままなら、

噴火すると思います。



どうにかして噴火を抑えられないものだろうか。

自然の摂理には敵わないけれど、

大難が小難になるように祈ることはできます。



災害が起こった時のために、

備えることもできます。

私達は私達なりに、

それぞれできることをやるしかない。



今年は乙巳。

乙は木を表し、巳は火の気を表す。

伸び切った木から業火が起こる年とも言われていて、火に注意が必要な年だったりします。



山火事も多かったですが、

火山の噴火も心配な年なんです。



一人一人の力は小さくても、

自分の身を守るために備えることはできるから。

少しずつでも備えていきましょう。



数日前に雪が降ったかと思えば、

明日は夏日になるところもあるとか。

体調を崩さないように、

みなさまお気をつけください。









『人よ立ち上がれ。

縋るだけでは何もならぬ。

祈りも届かぬ。

自分の力で立ち上がれ』



今日神棚で神様と対話中に言われた言葉です。



思念で送られてきているので

単語だけがたくさん浮かんでくるのですが、

どういうことかというと…



信仰宗教とか、

スピリチュアルなことも含まれていて。

信仰宗教にハマったりするのは、

その宗教に縋ってることになります。



また、信仰宗教ではなくても、

スピリチュアルと言われるジャンルで、

確立してるような人の本を読み漁ったり、

その人達の言葉を鵜呑みにして、

自分で考えることをしていないのも、

縋ってることになります。



もちろん、

すべてを否定するわけではなく、

自分で考えて、

この人の本は自分の為になるから

買って読もう!

それは問題ないです。

でもそれで、盲目に信じるのは違うんですね。



もちろん、

先人達の知恵によって、

自然と身についてるものは、

縋るとは別物なので、

考えることなくやっていても

不思議はないのですが、

人間は考えることをやめたらダメなのです。



例えば、

ライトに『祈って』と言われたから

ただ闇雲に祈っても、

祈りは神様まで届きません。



ですが、

なぜ祈るべきなのか考えて、

自分の想いを乗せて祈れば

神様へ祈りは届きます。



今の世の中、

考えずに盲目的に信じて

縋ってしまう人が多いんです。

それでは神様まで祈りは届きません。

自分の想いを乗せてこそ、です。



一度ご自身のことを振り返り、

自分自身の心と対話してみてください。





世の中、たくさんの不条理があったり、

納得のいかないことがたくさんありますよね。



今、神様は、

白と黒とで選別していて、

黒と認定されてしまうと

闇に堕とされてしまいます。



ですが、だからと言って、

敵対心を持つのは違います。

批判するのも違います。



人を批判したら、

自分まで闇に堕ちてしまいます。



白対黒で戦うのではなくて、

認め合い、包み込む。



偽善に感じる方も

いらっしゃるかもしれませんが、

私、人を嫌いになることがないんですね。

確かに、今までいろんなことがあって、

イジメも受けたし、

猥褻行為も受けたし、

理不尽なことはたくさんありました。



でも、それで

その人を憎んでるかって言ったら

全然そんなことはなくて。

むしろ、そのことがあったから、

人の心の痛みのわかる人になったと思うし、

人に優しくあれる。

私に気づかせるために

『悪』になってくれたんだよね。

そう思えるのです。



あーもうムカつくー

っていうようなことがあっても、

「あの人のこういうところは苦手なんだけど、

でもあの人には別の面で良いところがある。

だから嫌いになれないんだよね」

それが私の考え方。



ぽんちゃんのお母さんに、

「薄明ちゃんは

人の良いところを見つけるのが得意」

そう言われたことがあります。



自分にも欠点はある。

だから他の人にも欠点はある。

自分より周りの人が凄く見えるのに、

良いところがないなんてそんなはずはない。

そう思ってきたのが私。

だから、人の長所を見つけることに

長けたのかもしれません。



ムカつくことがあったり、

人のことを嫌いになりそうになったら、

「そんなことを考えるだけ、

自分は出来た人間なのか?」

一度振り返って考えてみてください。



憎しみからは憎しみしか生まれません。

憎しみの心は火に油を注ぐようなもの。

認め合い、愛すること。

それが神様が人間に望む一番のこと。



神様も、

人間も、

動物も、

妖怪のような見えない世界の住人も。

みんな白と黒はいる。

でも争ったらいけない。



相手のことを思いやり、

認め合うことができたら、

世界は優しさで包まれる。

神様の望むこと。



人間はそれができる種族。

神様が人間にかけた想い。



『ライト言ってるよ。

和をもって貴しとなす、って。

憎しみあわないでね』








昨日、私の頭の上に乗っていたのは

小鬼だったようです。

ライトに言われました。



『ママさー、

頭に餓鬼乗せてなにやってるの?』 



「餓鬼ってことは、小鬼?」



『うん。

光龍さんが通しちゃうくらいだし、

悪い子ではないけど。

どこで拾ってきたの?』



『ターたん、取ろうとしたんだけど、

取れなかった…』



悪い子でなくても、

妖怪は妖怪なので、

イタズラされたら嫌なのですが、

どうにも離れてくれません。



『オイラ達だって必死なんだ!

地球なくなったら

オイラ達の住まいもなくなるんだからな!』

…と。どうやら、

本当に悪さをするつもりはなさそうですが、

ずーっと頭の上に乗ってて

違和感がすごいです。



重くはないのですが…。



今までも、朧げながら

神様を視たり、

龍を視たりはあったのですが、

まるで自分が不思議な世界の住人に

片足突っ込んだかのようです。



不思議すぎて、

書いていながらも、

信じてもらえないんじゃないかと

不安になるくらいです。



それでも、

見えない世界の存在達が

戦っているのは確かなようで。

空を見上げると、

龍の上に妖怪やら精霊やら

いろんなものが出かけているのが見えました。






わかります?




龍の上、左の方をアップにすると




右側をアップにすると…




全体で見ると



こんな感じ。



絵心がないので、

ピクニックにでも行く動物に

見えてしまうのが悲しいですが。



とりあえず、

私もできることを。

大祓詞を唱えて、

神様が力を発揮できるよう

場の浄化を行っていきたいと思います。