お釈迦さまも、

弘法大師さまも、

修行を始めた最初の頃は

悪魔の囁きがあったと言います。



どんな偉人であっても、

最初は悪魔に囁かれ、

その囁きに打ち勝って

聖人となっています。



今の世を生きる私達には

想像もできないような

辛い修行を乗り越えている方々。

地位を捨て、欲を捨てて修行した。

そんな方々でさえ、

悪魔に囁かれ、

揺らいだ時期があります。



聖人君子と呼ばれる人達でさえ、

悪魔に囁かれているのに、

今の世を生きる私達が

悪魔に囁かれないわけがないんです。



“ 神様の言葉を聞きます”

“神様の言葉を伝えます”

“神様が視えます”



本当に神様ですか?

その人の視えてる神は真の神ですか?



神様ごとを仕事にしている人は

自分の視えているもの、

聴こえているものが

真の神かどうか

見極める必要があります。



視えない人も、

視えると言う人の言葉が正しいのか、

視えてるものは真の神なのか。

自分の目で見極めてください。

必ず、鵜呑みにせず、

冷静な目で見てくださいね。



私もなんどか判断を誤り、

今があります。

何度も悪魔に引っ張られました。

何度も何度も引っ張られ、

それでも何度も何度も

奉職先の大物主様が引き戻してくれました。

一時は、神職でいられなくなるかも?

という時間もありました。



今やっと

神様に本気で向き合えるところまで

辿り着いた気がします。

それでもまだまだ不安。

魔に引っ張られない確証なんてない。

そんなものだと思います。



だからこそ、

自分の言葉には責任を持ち、

何度も足を止めて、

大丈夫か確認します。



神様ごとをする人は特に。

魔の存在に狙われやすいです。

視える人も視えない人も。

視えると言うその人の言葉が、

真の神の言葉か、

信じていいのかどうか、

立ち止まって考えてみてください。



きっと皆さんが思ってるより…

真の神が視える人って少ないです。





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