おはようございます、カーチャンです。

 

今朝はこの記事に救われました(フォローしている獣医さん)

死を受け入れていくまでに「否認→怒り→交渉→抑うつ→受容」の5段階というのがあるらしく、そうした情報も読んでいました。だいたい、そのような流れで来れているとは思うけれど、この矢印が逆向きに進むこともあったし、飛び越えて次の段階へ行ったように感じることもありました。

 

心ですもの。心って、細かな波がいつもかすかに揺れ動く湖のようなものだろうと思うから。ルールなんてちゃんとは当てはまらないですよね。

 

ただ、ひとつ、Hanaを見送った後で自分でできて良かったと思えること。

 

それはやっぱり

 

泣くことは大事

 

でした。

 

 

Hanaの写真を見上げながら、ビービーと、ワーワーと、しくしくと、思いっきり泣きました。

鼻水も出てきて鼻が詰まって呼吸がぐるじい、という状態にも何度もなりました。

ティッシュじゃ間に合わなくて、フェイスタオルぐらいじゃないと安心して(?)泣けない。

 

そんな日々がたっくさんありました。

 

今だって、掃除の途中とか、仕事中とか、ご飯を作っている最中、殿とのドライブで助手席から流れる景色を見ているときとか、ツツーッてこぼれ落ちてくるものがあります。

 

 

 

知り合いになれた方に霊能者の方がいるのですが、涙を流すとは「浄化」の意味があるそうです。

 

 

 

過去記事にも書きましたが、泣きたいのに泣けない状態が一番辛い。

 

 

いつまでも泣いてどうする、みたいなことを言われそうな雰囲気がある中に一人でいるなら、きっとすごく、つらい。

そんなときは、湯船のお湯に顔をつけて、思いっきり声を上げて泣いてしまうとか、何かできないかな。

できたら、いいですよね。誰も代わってくれない自分だけの苦しみではあるけれど、自分だけはそれを思い切り受け止めてあげたいですよね。

 

卒哭忌というものが百箇日目にあるけれど、それは泣くだけ泣いたから来る日なのかも。

まだまだ涙は流したままでいいから、足だけは明日に向けて歩いていきましょう。

私も、お仲間です。