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    第1帖 桐壺(24)

    原文

     今はうちにのみさぶらひたまふ。ななつになりたまへば、読書ふみはじめなどせさせたまひて、世に知らずさとかしこくおはすれば、あまりおそろしきまで御覧ず。

     

     「今はれもれもえにくみたまはじ。母君なくてだにらうたうしたまへ」

     

      とて、弘徽こき殿でんなどにも渡らせたまふ御供には、やがて御簾みすの内にれたてまつりたまふ。いみじき武士もののふ、あたかたきなりとも、見てはうちまれぬべきさまのしたまへれば、えさしはなちたまはず。女御子おんなみこたちふたところ、この御はらにおはしませど、なずらひたまふべきだにぞなかりける。

     

     御方々おんかたがたも隠れたまはず、今よりなまめかしう恥づかしげにおはすれば、いとをかしう打ちとけぬあそぐさに、れもれもおもひきこえたまへり。わざとの御学問がくもんはさるものにて、こと、笛のにもくもひびかし、すべて言ひ続けばことごとしう、うたてぞなりぬべき人の御さまなりける。

    現代語訳

     今は内裏にばかりいらっしゃいます。7歳になられると、帝は読書始(学問の始まりとして漢籍の読み方を習う儀式)などを行わせなさいました。世に聞き知らぬほど聡明で賢くいらっしゃるので、あまりに恐ろしき者とまで御覧になります。

     

    「今は誰も彼も憎むことなどできないでしょう。母君がいない若宮を、せめていたわってあげてください」

     

     とおっしゃって、弘徽殿などにもお渡りになる時の御供に連れては、やがて御簾の内に入らせなさいます。並々ならぬ武士や敵対者であろうとも、若宮を見てはついほほ笑まずにはいられない様になられるので、さし放つことができません。皇女たちがお二方、弘徽殿女御の御腹の子にいらっしゃるけれども、若宮になぞらえられることさえもないのでした。

     

     他の方々もお隠れにはならず、今よりもう艶めかしく、こちらが気恥ずかしくなるほど気品にあふれていらっしゃるので、愛嬌たっぷりで必ず打ち解けてしまう遊び相手に、誰も彼もが思い申されました。本格的な学問はさることながら、琴や笛の音についても宮中を響き渡らせ、すべて言い続けてみても、何でもことごとく異様にできてしまう人の御姿でした。


     

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