2024/8/10
赤っぽい三日月だった前夜
注文した品があるだろうグロッセートの街の配送会社のサイトを見ていたら、恐ろしく酷い評価で、中には「配送もしていないのに、住所不定扱い。電話をしても誰も出ず。本当に最悪なサービス」なんて書かれている。私のも、これに該当するのかと、少しビビった。でも、行ってみないとわからない。やるだけの事はやって、それで無理なら、今後のことを考えればいい。気持ちは、注文したものよりも、住所不定の田舎町で生きていくことの、より良い手段をとるほうに気持ちがいく。きっと、なんとかなる。心の片隅で、そんなふうに思っていた。だって、ここはイタリア!だもの。その夜の月が、妙に赤い三日月だったのが印象深かった。翌日、見慣れぬ番号から電話が入った。「配達員ですが、この住所って、具体的にどの辺りですか?」もしかして、もしかすると、それは、自分が取りに行こうと思っていた注文品なのでは…と、住所の説明をしてみたのだけれど、うまく伝わらず、思いついて、田舎町唯一の、ピックアップポイントである雑貨屋さんの名を出してみる。「ああ、そこなら分かります。」Amazonなんかで注文する時にピックアップポイントになっているお店だから、大概の配達員なら分かるらしかった。「お届けした際にメールさせていただきます。」配達員はとても親切だった。あとは、雑貨屋さんにお知らせしておかないと。バールに立ち寄るついでに顔を出し、届くはずの荷物が、その店に届くことを伝える。フィレンツェの家の近くのタバッキは、こういう誤送をすごく嫌い、配達員が間違って届けたのを取りに行くと、いつも怒られたりするから気まずくならないうちに先手を打つ。雑貨屋のお姉さんは、「オッケー、良いわよ。」と言ってくれた。「あの、手数料お支払します、おいくらですか?」と言うと、笑って、「良いのよ、大丈夫。何もいらないわ。」と言ってくれた。田舎の人たちの、こういう温かさがより嬉しい。かくして、荷物は、無事に私の手の元に渡ったのである。凄い。最終的にはいつも、なんとかなるイタリア。ちゃんとしていないことのこの緩さが、時に、良いほうに動く時もある…というわけである。