国や宗教、文化の違いで起こる摩擦は… | 私のイタリア時間

私のイタリア時間

イタリアに住みはじめて、20年もの月日が経ちました。
イタリアでの何気ない日々。流れる時間の中で起こる、ふとした出来事や思い。
このブログでは、そんな日常を1枚の写真と共に書き綴っています。



2024/7/5


昨日の夜更け




珍しく、友人たちがやってきた。日本から、あれこれと食材を持ってきたから、「手巻き寿司でもしよう!」と声をかけていたのだ。いろんな具材を用意するのは大変だけれど、一回に一品しかできない私にとっては、手巻き寿司は、イタリア人の友人たちを呼ぶにはちょうど良い。日本のお米、日本の海苔、日本のわさびに日本の酒。「全然、違うねぇ。」そういったものに感動してくれるのが嬉しい。テーブルに並べたあれこれを、好きなだけつついて、すっかり空にした後は、珍しく、テレビでもつけてみよう…という事になった。その時まで、ずいぶん長く、テレビを見ていなかった事に気づく。テレビでは、相変わらず、くだらない話題にあれやこれやと論議している。その日の議題は、イスラム教徒の男尊女卑。「イタリアに住むのならイタリアの法律を尊重するべきよ。」女性議員が吠える。移民が普通に生活しているイタリアで、自由恋愛を知ってしまったイスラム教徒の若者たちは、親が決める結婚に抵抗するがため、親に殺されてしまう…といった事件が、稀にある。そういう事を取り上げて議論が進んでいた。親であっても、どの宗教でも、人を殺める事はダメな事だけれど、議論を反宗教に持っていくと、解決するものも解決しないような気がする。そこをあえて、対イスラム教に仕立てている番組に辟易した。宗教の問題、文化の違いは、その歴史をちゃんと分かっていないと、難しい。元同僚にエジプト人やインド人が居たけれど、指示をするのも難しく、言い方を間違えると、口論に転じた。自分がいかに自由な国に生まれ育ったかを知ったし、国の違い、文化や宗教の違いで起こる摩擦は、尊重というカタチでしか、抑えることは出来なさそうだった記憶がある。立場によって、思うこともいろいろ。どんな話題でもそうだけれど、男女の違いや宗教の違い、生まれた国の違いの云々は、最終的に「『人間』としてどうだろう」というところで考えた方が良さそうな気が、私はしている。






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