やっぱり、最後はなんとかなる | 私のイタリア時間

私のイタリア時間

イタリアに住みはじめて、20年もの月日が経ちました。
イタリアでの何気ない日々。流れる時間の中で起こる、ふとした出来事や思い。
このブログでは、そんな日常を1枚の写真と共に書き綴っています。



2024/1/26


一昨日の夕空、紫に染まる。




わりに近くに住む友人から電話があった。「鍵をなくした。」あら、それは大変。ちょうどバールにでも行こうかな…と思っていたから、「一緒に探そう!。」という事になった。イタリアの鍵は、じゃらじゃらといっぱい付いているから、どこかに落としたら、気がつくと思うんだけど、「全く思い出せない…」と言う。ある限りの可能性を探ろうにも、気が動転してしまっているせいで、記憶を手繰り寄せないようだった。わかるなぁ、わかる。あんまり物を無くさない私も、ついこの間、使っていたペンをどこに置いたのかわからなくなって、家中を探した覚えがある。絶対どこかにあるはずなんだけど、その時には見つからない何か。結局、少し経って思い出し、無事見つかったのだけど、鍵もきっと、どこかにあるだろうと思った。「じゃあさ、今まで通った道を辿ってみようよ。」気が動転している友人は、私の言うがまま。バールに行った…と言うんで、バールに行き、聞いてみる。「鍵が落ちていませんでしたか?」こういう時のイタリア人は優しくて、必死に探してくれる。結局、バールには無かったんだけど。大家さんに連絡して、スペアキーを作ってもらうようにして、トボトボと元来た道を戻る。この時、いろんなことを思った。そういえば、あの人の時はこうだったな…とか、前に、うちのアパートでも誰か落としていて、拾った人が貼り紙してたな…とか。結局、いつも、最後にはなんとかなっている。私たちが時々抱える問題も、最終的にはどうかなっている。だからきっと、なんとかなる。「あ、もしかして…」なんか思い出したらしかった。「ちょっと行くわ。」と言うんで、そこで見送った。その時の空が、こんな空だった。ちょっとしてから、携帯にメッセージが入った。「鍵、見つかりました。」やっぱり、最後はなんとかなる。







今日もありがとう!
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