父の思い出話 | 毎日 ほんわか笑顔で居たいな

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今日は…
思い出話をひとつ…


今日は
亡くなった父の命日ではなく
お誕生日

命日よりも
やはりお誕生日の方が馴染みがあり…
思い出すのはお誕生日のほう



父は頑固な職人でした
職種はというと
宝石貴金属加工販売
という
細かなお仕事をしてました

今では兄が後を継いで職人さんしてますおねがい



一番左側のガーネットの指輪
これは父が独立した時
初期の作品
出回らずにここ私の手元に残ってます
多分60年ほど昔のものですね
他の指輪も
私が結婚する前に
自分でデザインしたものを
父に作ってもらったものとかです




このペンダントトップは
父が母に作ったもの
もう今では母も身につけないからと
私に3年ほど前に貰ってきてます

どれだけの作品を作ったのか
残念ながら年代的にも
写真はありませんが
父の手がけた作品が
今でもどこかで誰か身につけている
とても嬉しいことです照れ



とても手先が器用で
ほんとに何でも作れるし
直せるし
すごい人だなぁと子供の頃から
ずーっと思ってました


その父が
脳梗塞で倒れたのは
私が結婚して3ヶ月目
私が26歳
父が58歳でした
結婚式には
父の作ってくれたティアラを身につけました
が…終わったあとには
残念ながら解体
記念にとっておかんのかーい
と後々突っ込んだ記憶(笑)




左半身の麻痺が残り
もう仕事は出来なくなりました

でもでも
生きることに対して
意欲的な前向きな
ポジティブ過ぎじゃね?
的な人でした

脳梗塞で倒れてから21年間…
79歳で亡くなりました



不自由ながらも
自分の思いのままに生きた人でした

私が結婚当初に乗っていた車も
父のマイカーになりました
ちゃんとハンドルには
グリップ?みたいな
グルグルと回す奴ついてました
随分と長いこと乗ってましたが
廃車にした時には
座席を取り外し
家の居間で使ってました
座り心地がとても良くて
体が安定するとのことでしたが
それ見た時には
目が点に

私が里帰りすると
家の中がいつも変わってるんです
子供のように
その変わった家の中を
またまた楽しそうに話してくれるんです

リハビリするのに
何やら天井からぶら下がっていたり…
自分が異動するための手すりも
あちこちつけてました
よく片手でやるもんだと…
ただ、あちこちと
色んなものが移動して
なにがどこにあったのか…
分からなくなるような(笑)

それでも
なにも仕事が出来なくなり
それでも何かしたくて
家の中をあちこち基地作り
子供みたいな人でした

そうそう
パソコンでソリティアもしてました
No.1から順番に
しかも出来なかったやつは
何度もやって
どうしても出来なかったのは
メモしてありました(笑)
このことは
子供たちもよーく覚えてます
暇つぶしというか
なんにも出来なくなった歯がゆさも
あったんだと思います
これもまた可愛すぎる父でした



今、まだ元気で居てくれたら
父は今日で88歳



今日は
父の好きだった
島倉千代子さんと
三波春夫さんの音楽聞いて
のんびりと過ごしましょうかね


長いお喋りになりました
誰の目にもとまらなくても…
私の心の中を
そして
記憶をここに書き留めることが
今日の思い出かなぁ…と








お付き合い頂きました方がみえましたら
ありがとうございましたm(_ _)m