こんにちは^ ^
もう火曜日か!毎日が早い!
土曜日、秋葉原UDXで、ドリパスのイベント
奇跡のピアノの上映、観てきました^ ^💕
ユチョンのナレーションも
久々で、じっくり聴き入り
エンドロールの名前もしみじみ見てきました。
今回は3本立て上映の三本目でした。
コロナウイルス感染症の最大流行時期なので
やっぱり入場者数は少なかったです。
このチラシ見ると、たぶん他の日程や
同日の映画とのバランスで
奇跡のピアノも入ってるんじゃないかな。
上映はやっぱりご縁があって成立するので
このご時世が落ち着いたら
みんな来られますように^ ^
海霧でファンのみなさんも
体験されてると思うのですが
同じ映画を何度も観ていると
ストーリー展開は頭に入ってるので
今度はディテールというか設定やシーン、
毎回ひとつずつ違うテーマに着目して
じっくり丁寧に
みられる良さがありますよね。
今回、じーっと見ていて
新たな気づきがあったので
五月雨になりますが、書きますね。
ユ イェウンちゃんのお母さんのこと
母娘のコミュニケーションのこと
作曲家の若い音楽家の先生のこと
かな。
*
イェウンちゃん、里子に出されて
一時預かった今のお母さんに
そのまま引き取られたのだけど
産着の入ってる箱がひまわりだった🌻^ ^
ひまわりは何気なく他にも出てきていて
そうか、意識すると見つかるんだなって
ほっこりしてました^ ^
*
じゃあ、まず、
イェウンちゃんのお母さんのこと。
お母さんがピアノをイェウンちゃんに
小さな頃に弾かせていたり、
練習に付きあえていたこと
今回改めて、あれ?と思って。
考えたら
素養のない方はできないですよね。
あっそうか、あるのか!
と、思ってたら、ストーリーが進んで
お父さん、つまりお母さんの旦那さんの
インタビューの時に過去の写真が出た。
お母さんが若い頃ステージで
コーラスかな?ミュージカルかな?
何人かで歌を歌ってた場面が出ました。
そうか、やっぱり
ピアノはご経験があったのね。
旦那さんとは
事故にあって歩けなくなってから
出会ってるみたいでした。
だから旦那さんは奥さんのことを
理解できないって話されていた。
うん。
私も実感を持って想像できないから
その時にならないと何とも言えないな。
でも、お母さんがイェウンちゃんに
折々に話す言葉を聞いていると
個性のひとつに昇華されてるみたい。
いったいどんなことが人生にあったのか。
このご夫婦は肉体の障害がなかったら
いや、あってもかな?
芸術と教育とITを使いこなす
結構、現代的なスピード感をもってる
ご夫婦かなぁって気がしていました。
娘さんを芸術大学に連れて行く発想が
既にアンテナ高いから。
また違った人生も想像されました。
でもイェウンちゃんを引き取ったことで
人生の真ん中にまたどーんと
別のテーマがきた。
いや、逆かな?
真ん中じゃないね。
体の障害が日常の一コマでしかない生活。
できないことを工夫してやるのは
私たちも全く同じだから
人生を生きていく流れの方が
困難に立ち止まるよりも強い感じ。
不思議なんだけど、そんな印象でした。
でも、これが日常の人にとっては
不思議と思う私がいることすら
なぜ?って思うよね。
これが、視野が広がるってことか〜💦
*
実はこの間、盲目の人と美術館で
絵の鑑賞をするって本を読んだんですが
最初から絵が脳内に
像を結んだことのない方の言葉なんですが
文字で物体を理解してると読んだ瞬間
あっ
触って形を理解するとか
(触覚と立体感の概念の結びつき方がたぶん違う)
影って概念もないんだ
(温度差で認識されるかもだけど)
見える人が
目隠しして見えない世界を体験て
ウソなんだ!
(それは
見える人が見えなくなった世界なだけ)
目から鱗が落ちたんですが
今回の映画でもまた、そんな体験しました^ ^
続き書いたらめちゃくちゃ長くなった!
しかも一部消えたから、また次のブログで😆🍀