アメリカのミュージシャン、ハービー・ハンコックの“Watermelon Man”を聴いていたら、子供の頃のことを思い出した。

 

まだ小学4〜5年生頃だったと思う。夏なると農家さんがトラックの荷台にスイカを積んで町まで売りに来た。スピーカーで「スイカ〜!スイカ〜!」と節をつけて宣伝する。たまたま家の近所の路地でそのトラックに出くわした。今思えば、まだ10代後半か20代前半のお兄さんがふたり、ハンドスピーカー片手にスイカと一緒に荷台に乗っている。

 

「1個、あげようか?」とひとりのお兄さんが笑顔で言う。私は瞬時に「いらな〜い」と答えた。知らない人から物をもらってはいけないと、親からも学校の先生からも言われていた。

 

「えっ、いらないの?」と、お兄さんは驚いたような、少し残念そうな、そんな表情だった。ゆっくり走るトラックのまわりに数人の子供たちがいたけれど、誰もスイカをもらわずに、ただお兄さんたちに「どこから来たの」とか「どこへ行くの」とか話しかけてわいわい騒いでいた。

 

家へ帰り、母に「スイカあげるっていわれた」と言うと、「ああ、お兄ちゃんたちが売りに来ていたね」と、ただそれだけだった。スイカが安価で手に入る時代だった。

 

1990年代に他界した母方の祖母が、入院中に「スイカが食べたい」と言ったのは寒い2月だった。それまでずっと祖母と同居していた叔父は果物専門店やデパートを探し回ったけれど、どこにも売っていなかったという。しばらくして祖母は永眠した。

 

雪が降る町をスイカを探して歩き回った叔父、うつ向きながら悔しそうに話していたのを思い出す。それから30年以上が経ち、叔父自身が80歳を過ぎてもまだその話しをすることがあった。よぽど心残りだったのだろう。都会だったら簡単に手に入ったのかも知れない。

 

いつの間にか、綺麗にカタチが整った丸ごとのスイカは贈答品のコーナーに並ぶようになり、私の故郷でも、食べたい時にはいつでも買えるようになった。夏を外すと高値になるけれども、有難いことである。

 

かき氷も昭和と比べると随分と変わった。私が子供の頃は、メロン味、いちご味、練乳がけ、金時、これくらいだった。今は季節のフルーツがトッピングされたり、種類が増えて驚くほどお洒落になった。

 

夏の風物詩が、昭和とはカタチを変えて楽しませてくれている。