数日前、生まれ故郷に雪が降った。地域によっては大雪警報が発令されるほど降った。

駅前を映すライブ動画は24時間、世界のほとんどの場所から見ることができる。左側には数年前に新しくなったばかりの駅、中央にバスターミナル、手前に可愛らしい二階建て三角屋根の交番と小さな公園、画面上部にはベイブリッジが見える。いつも変わらぬその景色に大粒の白い雪が激しく降る。

 

雪が降っている日は、そこに住んでいる人たちには申し訳ないけれども、嬉しい。

 

私は雪が大好きである。友人たちは「ここに住んでいないからよ」と、至極当然のことを言う。学生の頃までは、実家の雪片付けは母がしていたし、その後も私は雪で苦労をしたことがない。友人たちは皆、昔は親がやってくれていたことを、今は自分たちが「腰が痛い」と言いながら家族のためにやっている。

 

15年前、母が入院し、冬の数カ月を故郷で過ごした。古い家は石油ストーブをたいても部屋が暖かくなるまでに時間がかかる。吐く息が白い。息が落ち着いた頃、固まっていた身体がようやく柔らかくなるのである。

 

冬の天候は変わりやすく、青空が見えていても突然雪が降り出すこともあるし、突風に吹かれた雪が顔にあたり息をするのも困難な時がある。手も顔も、時には水道も凍るほどの極寒だったことはまるで昨日のことのように記憶が蘇り映像も浮かぶけれども、あの頃のことを思い出すと、不思議と心は温かくなる。

 

毎朝、街の繁華街から少し離れた母のいる病院へバスで向かい、半日ばかりを母と過ごし、夕方に街へ戻る。子供の頃を除けば、その数カ月がいちばん長く母と一緒にいたことになる。母の兄弟たちを含む親類縁者が交互に母を見舞い、その時期に皆との絆が深まったような気がする。高校からの友人たちは母と私を心配し、励ましてくれた。慣れないことばかりで不安もあったけれど、毎日が感謝の日だった。

 

PCのスクリーン越しに吹雪の様子を見ていると、心がどんどん温まってくるのである。

 

今更ながら、頭の中の記憶と、心の中の記憶は異なることに気づく。