故郷の祖父母の家の玄関へ入ると昔懐かしいにおいがした。

 

祖父は畳職人だった。自宅の表通り側が仕事場になっており、祖父が他界した高校1年生の時までは店から奥の自宅に入りよく叱られたものである。機械や刃のついた道具、重い物がそこら中に置いてあるから危ないのだけれども、母屋までの暗い通路が苦手だった。当時、祖父はもう引退し、母の弟が跡を継いでいた。

 

仕事場には“い草”のにおいが漂っていた。物心つく前からそのにおいに慣れており、嫌だと思ったことは一度もない。それが、母の実家、祖父母の家のにおいである。

 

職業柄、祖父母の家のどの部屋の畳も色が褪せていたことはない。それは我が家も同様で、頻繁に遊びにくる母の弟が「そろそろ畳替えだな」と言った数週間後には新しい畳が敷かれていた。

 

今回の滞在では「仏間に寝る!」と宣言した私だが、従兄弟は2階の客間に寝具を用意してくれていた。仏間がある1階まで寝具を運ぶのが面倒だからという理由である。仏間に寝たいというのは自ら望んだことであるけれども、正直、ほっとした。

 

家中、すっきりしていた。ほとんどの小物、生活用品が処分され、テーブルやソファ、椅子、大きな家具だけが残っている状態である。台所も使用している様子はなく、冷蔵庫の中には何もない。私の為に電源だけ入れてくれていた。生活感が全くなくなっていた。2階には畳敷きの客間の他に、3部屋の洋間がある。すべての部屋のドアを開け放してあったが、どの部屋にもベッドと箪笥くらいしかない。その中の1室に、ゴザというには立派すぎる、未使用の薄い畳のようなものが積み重なっていた。

 

20数年前、叔父が商売をやめる時に自宅用につくったものらしい。畳の上にさらに敷いて畳が傷まないようにしたり、洋室の一部に敷いたりしていた記憶がある。い草のにおいはこれだったのか。

 

東京へ戻り、洗濯をしようと荷物の中からパジャマ代わりに着ていたトレーナーやTシャツを取り出すと、かすかに祖父母の家のにおいがした。

 

いつになるかわからないけれども、叔母が天国へ召されたら家を取り壊す予定らしい。

 

このにおいがなくなるのは、幼い頃からの思い出が遥か遠くへ追いやられ、もう思い出せなくなってしまうのではないかという寂しさがわいてくる。