生まれ育った実家は小学校のすぐ近くにあった。選挙の時は小学校の体育館が投票所として使われ、多くの人が我が家の前を通り投票へ向かった。家の玄関からその体育館までは徒歩数分しかかからない。

 

子供の頃、同じ町内の人たちは皆顔見知りで、お互いの家のことをよく知っているのは普通のことだった。両親の仕事、子供のことなど。昭和を描いた映画「三丁目の夕日」のようなものである。ちょっと市場まで買い物へ行くのに、家に鍵をかけなかった時代。我が家は夜寝る時にしか鍵をかけなかった。近所のおばあちゃんやおばさんたちが、玄関をあけ「お母さんいる?」とそのまま家にあがってくるのが普通だったのである。それを不思議に思ったことも、嫌だと思ったこともない。我が家は特に人が頻繁に訪れる家だとは思うけれども。

 

実家の2〜3軒先は兄の同級生・まこと君の家だった。兄の同級生だが、私が小学校の低学年の頃までは3歳違いの私とよく遊んでくれた。

 

私が中学に入ったばかりの頃、何かの選挙の日に2階の私の部屋に通りから町内の人たちの歓声が聞こえてきた。

 

「まっちゃん、頑張れ!」と近所のおばさんさんたちの声である。

 

窓から外を見ると、まこと君が自分のおじいさんをおんぶして投票会場へ向かっているらしい。まこと君は背は高いが痩せている。いくらおじいさんより大きいからといっても大変そうだった。つぶれてしまうのではないかと心配した。しかし、まこと君はまわりの声援に笑顔で答える。その横にはまこと君の両親とおばあさんが満面の笑顔でつきそっている。家族全員が誇らしく見えた。

 

まこと君のおじいさんは体調を崩し、長いあいだ家で静養していた。でも、投票をしたいとの強い意志だったのであろう。諦めないところが凄い。まさしく「その一票が!」であり、貴重な一票である。

 

当時、まこと君のお父さんはまだ若かったと思うが、高校生になったばかりのまこと君の方が力があったのかも知れない。というか、孫に背負われる方がおじいさんは嬉しかったのではないだろうか。

 

町内中がまこと君一家に声援を送り、温かい気持ちにさせてもらった「投票日」だった。