数日前、久々に金縛りにあった。20代から30代にかけては頻繁に金縛りが起きたが、40代以降は激減した。
金縛りにあうと、その苦しみから開放されようと懸命に無駄な抵抗をするからもの凄く疲れる。また、瞬間に恐怖が襲う。絶対に目をあけないぞ!と頑張る。それなのに、パカっと開いてしまい、目の前に見知らぬ人が立っていた時の恐怖で心臓が止まりそうになる。
あくまでも私の場合だけれども、金縛りが起きると瞬時に恐怖となり、その恐怖で自分がつくりあげたものが目に見えてしまったり、聞こえたりするのではないか、と思っている。
友人に金縛り体質の人がいる。いつだったか、我が家に宿泊した時、リビングで眠っている彼がうなされていた。目覚めた彼に「うなされていたよ」と言うと金縛りにあっていたのだという。今度、そういうことがあったら起こしてほしいと頼まれた。
翌日の夕方、仮眠をとっていた彼がまたうなされているような声が聞こえた。足音を忍ばせて近寄ると、やはり微かにうなされているような気がする。でも、それが金縛りなのかどうか私にはわからない。眠っているのに起こすのは気の毒だと思い、そのままにしておいた。
目覚めた彼は言った、また金縛りだったと。
その彼が昔住んでいた家の2階に座敷童がいたという。夜になると、誰もいないはずの2階から子供の足音がパタパタと聞こえる。その音が聞こえてくると、彼は階段の途中にお菓子を置くのだという。彼の家に泊まった人たちもその音を聞いたというから本当のことだと思うけれども、私は行ったことがないのでわからない。
数十年前のお盆の時期だった。暑い日が続いていた朝方、暑さで覚めた。寝苦しかったので大きく寝返りを打った時、私の足元を通る行列が目に入った。先頭に袈裟を着たお坊さん、三度笠のようなものを頭にかぶり、手には鐘を持っている。その後ろに綺麗な淡い色、薄い生地の羽衣のようなものを着た女性たち、男性もいる。皆、静かに真っ直ぐに歩き、白い壁の中へ消えて行った。「ああ、ここは通り道だったのね」と思い、また眠りについた。綺麗な光景だった。
この世には私たちの目には見えないものがいくつも存在しているもかもしれない。その光景は綺麗で、まったく怖くなかった。
同じ年の冬、遠方に住む友人が泊まりに来た。夜中、彼女がトイレに起きたことに気づき、薄目で彼女の姿を追うと、その後ろにびったりついて歩く男性がいた。それは彼女の別れた夫だった。
「あら、ついて来ちゃったのね」と私は瞼を閉じた。
このふたつの不思議な出来事はまったく恐怖を伴わないものだった。
最近はほとんどない金縛り、あったとしても放っておけばそのうちとける。無駄な抵抗はしなくなった。怖いという気持ちもなくなったから、何も見えない。若い頃に「見てしまったもの」は自分がつくりあげたものなのかも知れない。