今回の軽井沢滞在は友人の「別荘開き」であり、お掃除をすることが主な目的である。最初から旧軽井沢や大勢の人が集まる場所へは行かない、どこのレストランも混んでいることが予想されるので基本的に食事は自炊、そう決めてきた旅だった。
到着日はそれぞれが使用する部屋を各々で簡単に掃除、その後に食料品の買い出し。その日の夜の食事は簡単に野菜たっぷりのお鍋にした。
翌日は遅い朝食を摂った後に、建物内、庭、バルコニーの掃除。昨年の秋、別荘を閉める時に友人とその家族が掃除をしてあったので、それほど大変なことではなかった。いちばん大変な庭の掃除は従兄弟さんが来てやってくれた。
あとは最終日にまた全体的な掃除をしただけで、軽井沢をのんびりと楽しむ時間は充分にあった。
私は車の運転をしないので、とにかく歩いた。普段から歩く。週末は淺草から銀座くらい迄は平気で歩く。それが役に立ったのか、どこをどう歩いても疲れることはなかった。緑樹や空気が綺麗なことも快適に散歩が出来た理由だと思う。
滞在中、小さなことに感動し、見知らぬ人の親切を受けて感謝し、見知らぬ人の笑顔で心が満たされていくのを感じた。
「緑樹の鮮明な色を反映した大粒の雨」「霧の軽井沢」「露天風呂から見たおぼろ月」どれも偶然であり、たまたま遭遇したそれらの自然現象は目に焼きつき心にのこっている。
作家・小池真理子さんは1990年にご夫婦で軽井沢に移住した。ずいぶん前になるが、冬の寒い時期に軽井沢で生活することの厳しさを語ったインタビューを何かの雑誌で読んだことがある。
2020年の1月に夫である作家・藤田 宜永さんが亡くなられた。
その後に執筆された「月夜の森の梟」。
あらすじ:
作家夫婦は病と死に向き合い、どのように過ごしたのか。残された著者は過去の記憶に苦しみ、その後を生き抜く。大反響を呼んだ朝日新聞連載のエッセイ。(ネット解説より)
軽井沢に滞在している時に小池さんのことを思い出し、東京へ戻ってすぐにこの本を買ってきて読んだ。軽井沢での暮らしの様子が伺えるところに差し掛かると、数日前に滞在していたあの風景を思い描き想像は広がる。
今回、6泊7日の旅に誘ってくれた友に心から感謝をしている。
私にとってなかなかないこの機会は、とても貴重な経験になり、思い出深いものとなった。