叔母の誕生日を祝う食事会で久々に六本木を訪れた。

 

待ち合わせ時間の前に叔母にお花を買おうと、数軒の花屋へ立ち寄った。日曜日の夕方という時間帯だからなのか、あまり元気な花が見当たらない。「わあ、綺麗!」と惹きつけられたのは淡いピンク色の花が開ききったチューリップだった。もう咲き終わったものである。元気で日持ちがしそうなのは白い花ばかり、83歳の叔母に白い花はふさわしくないように思えた。ある店の奥にあった濃いピンク色の小さな欄が目を引いた。数本の細い枝に幾十もの花が咲き、その枝のしだれ感が優雅に見える。それをギフト用にラッピングしてもらった。

 

食事会の場所は六本木通りにある明治屋の裏側。20代の頃に務めたオフィスは明治屋の隣のビルの中にあった。そこの裏口につながる通路を通れば近道だと思ったのだが、建物全体にシートがかけられ工事中の様子。

 

ここも近いうちに解体されるのかも知れない。そうなれば、過ぎ去った日々を憂うこともなくなり、いっそ潔く、次の新しいものが待ち遠しい。

 

散歩がてら回り道を楽しんだのだが、記憶にあった建物や店舗はほとんどない。昔の面影を探している自分がいるが、たいていは新しいものに変わっている。

 

薄暗い裏通りを歩き、小さな公園を見つけた。これは昔からあったもの。その公園を通り過ぎたところに食事会をするレストランがあった。

 

10年ぶりに会う叔母の姿を見て驚いた。まったく変わっていないのである。ベリーショートの髪は綺麗に染められ、自然な薄化粧、どう少なく見積もっても10歳は若く見える。快活な話し方も、飲みっぷりも衰えていない。

 

従兄弟夫婦、24歳になる従兄弟の長男、更に高校に合格したばかりの男の子、中学生の女の子。帰り道、3世代がお喋りしながら六本木の裏通りをぞろぞろとゆっくり歩き、家族の歴史が日々つくられているのを感じる。

 

この日の夜は暖かく、レモン色の春のコートを着た叔母の生命力が輝いているようだった。無理をすれば不自然に見えるが、叔母は自分流の“今を素敵に生きる術”を知っている。その秘訣は一人暮らしの生活の中にあるのだと思う。

 

これから解体される思い出の詰まった建物と、叔母の美しい佇まい。相反するもののように思えるが、私にとって大切なものがそこに象徴されているような気がする。