写真家・田原桂一(1951~2017年 65歳逝去)
1972年から33年間、パリを拠点にしながら世界的に活躍。
以下、新日曜美術館(2004.12.12放送) 田原桂一「光をつかみとるために」から。(ゲスト:コピーライター・仲畑貴志)
『窓』(1973年 - 1980年)
パリに来て間もない頃に住んだアパートは6階建ての屋根裏部屋。汚れた天窓から見える、太陽、雲が動く様子を見ながら「これをずっと撮り続けよう」と思ったという。
「窓ガラスの”向こう”と”こちら”、2つの空間、その空間を行きつ戻りつさまよう眼差し。
窓を写した一連の作品は、そうした眼差しの記録なのだといいます」と、ナレーションが流れる。
その後、引っ越しを繰り返し、窓からの風景だけを8年間撮り続けて、シリーズ「窓」を発表。これが国際的な賞を受け、写真家として注目を浴びることになる。
仲畑貴志・代表作
おしりだって、洗ってほしい。(TOTO・ウォシュレット)
好きだから、あげる。(丸井・1980年キャンペーンCM)など、多数。
田原桂一氏の「窓」について、仲畑貴志氏は次のように語っている。
「窓だけ撮っていたというのが、ボクは切ないと思うんです。窓を撮るということは内向的ですよね。外へ行けば撮るものはたくさんある。「窓」は、レンズの向こう側を撮っているんだけど、こちら側を撮っているような、自画像のように思えてきます。その時の自分を撮っているような。雨が降ったり、曇りだったり、いろんなトーンがあるんだけど。それを思うとちょっと辛い気持ちになるんです」
「田原桂一の作品には、例えば汚れた窓であっても“エレガンス”がある」
シリーズ「窓」の存在を知ったのは1990年代、日本では既に入手することが出来なかった。現在のようにネットがなかった時代、私はパリの通りからいろいろな建物の窓を撮影したものだと思い込んでいた。
その後、NYへ移住し、私はよくストリートを歩いた。いろいろな窓を眺めては、その窓の中にあるものを想像した。
「窓」の作品の一部を見ることが出来たのは、今から10年ほど前だったと思う。ずっと長いあいだ思っていたものとは大きく違っていた。
ふと考えてみる。私はストリートから見た窓に何を感じていたのだろう。多くの場合、そこにはいつも「あたたかさ」のようなイメージがあったと思う。理想をそこに思い描いていたのだろうか。
NYで撮った写真を1枚ずつ見ながら、その時の私はどういう状態だったのだろうか、何を求めていたのだろうかと思い返している。
仲畑氏のいうように、その時々の「自画像」があるかも知れない。