台湾に旅行しているYouTuberさんの動画を観ていた時、お土産店でTシャツを胸にあてている姿を見て、はっとした。それは「オバケのQ太郎」が描かれたもので、瞬時に小学1年生の時の運動会のシーンが蘇った。

 

*『オバケのQ太郎』は、藤子不二雄(藤本弘と安孫子素雄)による日本のギャグ漫画作品。

 

『オバケのQ太郎』の顔を描いた、上半身がすっぽり隠れるような紙製の被り物の衣装をつけて走る徒競走。衣装は運動会に備えて、各自が作ったものである。

 

スタート地点とゴールの丁度真ん中にラインが引かれ、そこで紙製の衣装を被るのだが

皆、そこでモソモソと時間を取られてしまう。私はその地点まで1位で到着したのに、衣装を被るのにガサガサと手間取っていると、いちばん後にやってきた同級生がスポンと頭に被り、ゴールに向かって走るのが見えた。

 

「えっ、頭だけの被り物?スポンと簡単に被れるじゃない!」

 

やっと膝上まであるガサガサの紙の衣装を被った私は、その子の後を追い、すぐに追い越しそうになった。まわりの大きな歓声が聞こえる。

 

その歓声は同級生に「頑張れ!追い抜かれるな!」と送られたものなのか、「頑張れ!追い越せ!」と私に送られたものなのか。今でも鮮明に思い出すくらい大きな歓声だった。同級生は身長は私と同じくらいだが、身体はかなりふっくらして走り方もおぼつかなかった。

 

結局、私はほんの1〜2歩の差で1位になれなかった。

 

レースが終わって自分の座る場所に戻るとすぐ近くに父がいたのだろう。

 

「わかちゃん(同級生)、頭だけなんだもの」と呟くと、父の笑い声が聞こえた。

 

私は納得出来なかったのだと思う。でも、不満を抱いた記憶はそこで終わっている。その運動会後も私はわかちゃんとよく遊んだ。

 

それは小学校の6年間で一番思い出深い運動会となった。

 

そうか、運動会に父が来ていたのか、と今更ながら嬉しく思う。中学、高校と成長する年ごとに父とは距離をとるようになったから、これは数少ない父との思い出である。

 

私の中にはすべての出来事が思い出として記憶されているのではないかと思うことがある。それが、ほんの一瞬目にしたもの、聴こえてきた音や音楽、匂い、日々の生活の小さなことがきっかけで、ポン!とひとつの記憶が飛び出してくる。

 

記憶とは摩訶不思議なものである。