その日はミッドタウンで友人とランチの約束、アパートを出てセントラルパークを散歩しながら歩いてきたら身体が冷えてしまった。
「そうだ、トランプ・タワーでおトイレを借りよう!」と何の躊躇いもなくお気軽にビルに入った。もともと地下にあるカフェでお茶をした時に見つけた、有り難く、とても貴重な場所。常時、お掃除をしてくれる係の人がいていつも綺麗である。
正面玄関から入りエスカレーターで地下へ行こうと歩いていた時、別の出入り口からガヤガヤと10数人の集団がエレベーター付近に向かって現れた。
ドナルド・トランプ氏と数人のボディーガード、一般の人々が輪になって周りを囲んでいる。トランプ氏は高身長で大柄なので目立つ。まだ大統領選に出馬する前のこと。
一般の人と見られるご婦人が何か質問し、トランプ氏が答える。また違う人が何か質問し、トランプ氏が答える。それが何回か繰り返された。
「もういいかな? 私はこれから上のオフィスへ行かなくてはならない。もう質問はない?本当にもういい? 上へ行っちゃうよ」
テレビで聞くあの声、話し方。それにしてもずいぶんと親切だなあ、と思った。
その2~3カ月後の6月、トランプ氏は大統領選に立候補した。私が遭遇したあの頃、既に立候補することは決まっていたと思う。
国民はざわついた。週に一度、善意で英語を教えてくれていた70~80歳になる先生たちは「ない、ない、ない!そんなのジョークだわね!」と「なんだか不安だわ・・・」という人に分かれた。
トランプ氏が勝利した日、私がいちばん心配したのはその先生たちのことだった。
トランプ・タワーの入口は厳重な警備がしかれる。前回の大統領就任時、地下にあるカフェやレストランも通常通りの営業をしていると聞いたが、一度もビルの中に足を踏み入れたことはない。小心者の私は、複数の警官や人々が集まるところを通り抜けて、お気軽にコーヒーを飲みに行ったり、おトイレを借りることは出来なかった。
2025年1月20日は大統領の就任式である。これから4年、また気楽に出入りすることが躊躇われる状態になるのかも知れない。
金色に輝くエスカレーター、壁に流れる滝の音が懐かしく思い出される。