私は魚をきれいに食べることが出来ない。

サンマ、アジ、鮎、その他、一匹ごとお皿に乗ってくると、食べたあとが悲惨な状態になっている。取り除いた血合いや尻尾の後始末が上手にできない。それなりに努力するのだが、添えてある彩りの良い飾り葉などで隠し、恥ずかしい気持ちになる。

 

数ヶ月前、妹宅で食事をした時のこと。旬のサンマの塩焼きと格闘し、満足して箸を置き、ふと義弟のお皿が目に入り驚いた。これまでどんな席でも見たことがないほど綺麗な状態で、頭、骨、尻尾が残されていた。まるで完璧な標本のようだった。お皿の上が見事に綺麗だったのである。

 

「すっごい綺麗!」と驚く私に「えっ?べつに特別なことじゃないけど」と戸惑う義弟。

 

彼は海の近い町で生まれ育った。魚の食べ方を特に誰かに教わったわけでもないらしい。

そこで生まれた人たちは、皆、あれほど上手に食べることが出来るのだろうか。

 

義弟の魚の食べ方をみて、この人はきちんと育てられた人なのだろうと思った。ずっと昔、少しヤンキーだった彼を見直した瞬間である。

 

妹は義弟ほどではないが、きれいに魚を食べる。好物の蟹を食べさせたら右に出る者はいないと思うほど上手に食べる。甲羅をぱかっと開けて器用にスプーンを使う。私は足の部分だけさっさと食べて終わる。同じ家庭で育ったのにこの違いはどこから来るのか。

 

現在は肉をほとんど食べない生活をしているが、15~16年前までは焼き肉が好きで、特に骨付きカルビは大好物だった。

 

最後は骨についた肉を削ぎ落として食べた。骨のまわりの部分がいちばん美味しいと信じている。お皿の上には肉のかけらさえもついていない骨しか残らない。それを見て友人は驚いた様子で言った。

 

「まあ、あなたは本当にお肉が好きなのね」

 

魚をきれいに食べたら「きちんとしつけをされた人」と思われ、骨についている肉を削ぎ落として食べたら、少々野性的に見えないこともない。

 

はて、この違いは何なのだろう。