NYから一時帰国している友人と久々に電話で近況を報告しあった。
彼女は平日は仕事場があるマンハッタンのアパートで過ごし、週末は夫が暮らすマンハッタンから車で2時間ほどの場所にある別宅へ帰る生活を長年続けている。
仕事は忙しくほとんど帰って寝るだけ、そして週末は不在になる。スペースがもったいないと思った友人は数年前からマンハッタンのアパートにルームメイトを入れている。
いちばん最初のルームメイトはダンサー、次は大学生、現在は音楽系のアーティストとのこと。ルームメイトは皆若く、親子ほど年齢が離れている。
「みんな、お鍋でごはんが炊けないのよ」と言う。炊飯器を持っていない友人は渡米当時からお鍋でご飯を炊いている。炊飯器は場所をとる、狭いキッチンには不向きであることと、海外で購入すると値段が高すぎる。
でも、いちばんの理由は「お鍋で炊いたほうが美味しい」から。
ところが、ある日、ルームメートが炊飯器を買って来たのだという。しかたなく、狭いキッチンを「あ〜だ、こ〜だ」と工夫して置き場所を作り、ルームメイトは炊飯器で炊いたごはんを食べている。
「どうぞ、私の炊飯器を使って下さい、美味しいですから!」
「いいえ、お鍋の方が美味しいです!」
ふたりとも、そこだけは譲らないのだとのこと。
友人自身もファッション系のアーティストである。ルームメイトが衣装が必要となれば1日で仕上げることもある。活動範囲の広いルームメイトからいろいろな国の様々な面白い話を聞くことが出来る。
そんな生活の様子を聞いていたら、NYで暮らし始めた頃のことを思い出した。
人と会っては面白い出来事の話を語り合い、小さなことにでもいつも何かに驚き、わくわくしていた。友人はその頃と変わりなく暮らしているように思える。
SNSの時代、多くの興味深いことに出会い、日々楽しませてもらっているが、直接、人と話すことも必要だなあとつくづく感じた。
心の動きが違うように思う。相手の鼓動が伝わってくるような気がするのである。