1度見たドラマや映画を、後に目を閉じて耳から物語を聞くことがある。

映像に気を取られて、セリフを聞き流していることが想像以上に多いことに気づく。

 

「えっ、こんな台詞あった?」「あら、こういうコトだったの?」

 

ドアを開け閉めする音、床が軋む音、階段を駆け上がる音、食器がたてる音、台所の水の音、まな板をたたく音、お風呂のお湯を身体にかける音、何かの包装紙を開ける音、日常の生活音。

 

会話や音からその状況を思い浮かべて想像力をはたらかせる。セリフの言い方や間のとり方で「この役者さん、上手だなあ」とつくづく思うことがある。映画やドラマの中に流される音楽の影響力にも驚く。

 

いろいろなことが、映像を見ている時よりもよくわかるような気がする。映像は情報が多すぎて、集中力のない私はいらぬものに目がいく。でも、決してそれはいらぬものではない、なぜなら私のようにそれを見る人がいて、「あら、懐かしい」とか「どこかで見たなあ」とか思うのだから。そして、肝心のセリフを聞き逃すのである。

 

ずいぶん昔に読んだ本「非色」(有吉佐和子)をもう一度読みたくて文庫本を購入した。

当時のアメリカ社会における人種差別をテーマにしたこの小説は1964年に発表され2003年に絶版。しかし、2020年、アメリカで起きたBlack lives matter運動によって再び脚光を浴び、復刊されたとのこと。

 

気のせいだろうか、最近の本よりも文字が小さいように感じる。ここ数年は文庫よりも単行本を読むことが多かったからそう感じるのかも知れない。

 

オーディオブックがあれば、そちらを買った方が良かったかも知れない。

 

視力の問題もあるが、時に斜め読みが甚だしい私には、集中力の点からもオーディオの方があっているかも知れない。