映画『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』より

 

コロナ禍で渡航が困難だった時期、フジコさん不在のパリのアパートに泥棒が侵入した。

部屋中が荒らされ床にいろいろな物が散乱している映像が映る。

 

幸いにも、フジコさんの宝物は何一つ盗まれず無事だったという。

 

子どもの頃に作った古い人形、猫がかじってつぶしたボタンなど、たくさんの小さな思い出の物はガラス戸棚の中にところ狭しと並んでいる。それらはフジコさんの宝物である。

 

でも、泥棒にとってはまったく価値のないものだったらしい。

 

「ダイヤモンドよりも千代紙とか着物の切れっ端の方がすごく好き」とのこと。

 

人それぞれ、大切なものが異なる。

 

私には特に「これが宝物」と思っているものはない。ずっと前にひとつあったその宝物が紛失し、それからは宝と言えるものは何もない。

 

多数の本、大切なものだけれども宝物ではない。PCの中に保存してある無数の写真、やはり大切なものであるが宝物ではない。どれも失くなればとても惜しいが、悲しくて心が泣いてしまうようなことはない。

 

4年前、今の住まいへ引っ越す時に荷物として送ったものは最低限必要な衣類と数冊の本、あとは思い出せない。

 

その時、手荷物で持ってきたバッグの中にいくつかのアクセサリーがある。そのうちのほとんどは姪に譲ることになっている。

 

どうやって手放そうかと考えているものがふたつ。ひとつは100年も前のものかと思うようなデザインの小さなダイヤが3つ並んでついているゴールドのブレスレット。もうひとつは1950年代以前のものと思われるティファニーのブレスレット。

 

それらは20代の頃に勤めていた会社の上司から頂いたものであり、その何年も前に上司がアメリカ人の元ビジネスパートナーの妻から譲り受けたものである。

 

このように何十年にも渡って何人かに受け継がれたものは、それが好きな人、本当に欲しい人に持っていてもらいたい。もし、そういう人に巡り会えなかったら、アンティークショップに引き取ってもらい、そこで誰かの目に留まってくれたら嬉しい。

 

いらないから手放すのではない、受け継がれてきた思いを大切にしたいから誰かに持っていてもらいたいと思う。