約50年前に父が建てたお墓があちこち修理が必要となり、やっと昨年の夏頃に業者さんにお願いして綺麗にして頂いた。これでしばらくお墓の心配をしなくていいと思っているが、自分がそこに入るかどうかは別の話し。
3才下の妹が実家のそのお墓に入りたいと希望しており、義弟は次男であるが自分の実家でも妹が入るお墓でもどちらでもいいらしい、こだわりがない。そのうちに墓じまいをと思っていたが、それは妹の子供たちに任せることにした。まだ20代の子供たち、自分たちが家庭を持ったら負担になるのではと心配だが、本人たちが田舎のお墓をのこしてほしいというので彼らの好きにすればいいと思っている。
子供の頃、お盆の時期になると遠方に住む叔父たちが家族で帰省するのが待ち遠しかった。あちこちから親類が集まりお祭りのように賑やかだったが、祖父母が他界してしまうと年ごとにひっそりとしたものになった。
海外で亡くなった知人のひとりは本人の希望で海へ散骨、もうひとりは日本の家族が見つからずNYにある共同墓地に埋葬された。
最近、私のまわりではその地区の共同墓地、海への散骨を望む人が多い。子供がいてもそう望み、実際に昨年夫をなくした友人も夫を海に散骨する予定である。もちろん、それは生前の本人の希望である。
向田邦子脚本ドラマ「空の羊」。
家の仏壇に並んでいる家族以外の知らない人のお位牌。それは昔父親が親しくしていた女性のお位牌である。娘は「これ誰の?」と母に尋ねる。母はそれが誰のものか知りながらも「私も知らないのよ」と答える。ドラマの中では、その女性の息子が偶然にもその家族と出会うことになり、いろいろと事情を察した彼が自分の母親のお位牌を持って出て行く。
故郷の従兄弟が「うちの墓に入ればいい」という。大変ありがたい話しであるが、ドラマのように「これ、誰?」という日が必ずやってくる。「亡くなったお爺さんの従姉妹だって」と、会ったこともない人を拝んでもらうのは今から心苦しい。
宇宙葬(うちゅうそう)というものがあるらしい。故人の遺骨などをカプセルなどに納めてロケット等に乗せて宇宙空間に打ち上げる、散骨の一種である。
私は夜空を見上げるのが好きだから、宇宙葬がいいなあとぼんやり思う。