韓国の農村で生まれ育った隣人は花や木の実にとても詳しい。一緒にセントラルパークを散歩すると、いろいろな花の名前や「この木の実は食べられる、これは食べられない」と教えてくれる。小さな赤い木の実を齧っては「ぺっ」と吐き出す。まるでリスのような女である。「やめなさいよ、汚い」と言うと「土の栄養になるんです」と言い返される。

 

秋になると黄色の葉をつけたイチョウ(銀杏)の木の下にギンナン(銀杏)が落ちる。歩いていると辺りにクサイ臭いが漂う。秋の味覚、とても美味しいのに、残念な匂い。

 

隣人が「これ、食べましょうよ!」と落ち葉にまぎれた銀杏の実を拾い始めた。予期せぬ言葉に驚くが一緒に拾う。ふたりで20個ばかりをハンカチに包み持ち帰った。

 

隣人は意気揚々とキッチンへ向かった。洗って、乾かして、フライパンで炒る。ペンチで殻を割り塩をふって食べたら、これが普通に美味しい。

 

この事をひとりの友人に話した数日後、その彼女が電話をしてきて思わぬことを言い出して驚いた。

 

「公園のものはNY市のものだから、銀杏はNY市のもの。拾って食べたら泥棒になるって旦那が言ってた」と言うのである。

 

確かに彼らの言い分は正しい。100個も拾って外で売ったら犯罪かも知れない。いや、いや、1個でも同じと言われたらその通りである。

 

秋の楽しい思い出に想像もしなかったご意見を頂き、意気消沈。

 

今住んでいるアパートの近く、淺草へ向かう大通りに柚子の木が1本植えられており、秋になると黄色く熟した大きな実をたくさんつける。手を伸ばせば届きそうな実を「お見事!」と見上げながら通り過ぎる。大通りなので公道かと思うのだが、公道に柚子の木を植えるだろうか。あまりにも綺麗で絵に描いたような実なので地面に落ちていたら1個持ち帰りたいと密かに思っているけれど、そもそも、落ちている実を見たことは一度もない。痕跡さえ見当たらない。そして、気づくと木にはもう実がひとつも残っていないのである。

 

誰かが収穫するのだろうか、不思議である。